翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

P‐3C (4)

 八戸の気候の特徴、海霧と雪については、すでに述べた。そのいずれについても航空機がP‐3という強力なものになったからといって、影響が少なくなったわけではない。海霧や吹雪が飛行に及ぼす影響はなんら変わるところがない。
 飛行場が霧や吹雪に閉ざされてしまえば、他の飛行場に着陸するしかなく、滑走路が凍結すれば融氷剤を散布するなどしなければ、離着陸はできない。要するに見えないものは見えないし、滑るものは滑るのである。
 霧については、漁業や船舶の航行にも影響が出るので、八戸基地の航空機は訓練飛行から帰投したら、飛行中に観測した霧の分布状況や移動方向などを、運航隊気象班を通じて関係の官署に通報する。これが海霧観測である。
 もう一つ、流氷観測というのがある。
 厳冬も峠を過ぎる頃から、オホーツク海の奥の方からおびただしい量の氷塊が流れ出す。この流氷群は、ひしめき合いせめぎ合いながら北海道東岸に押し寄せ、船を港に押し込める。そして、潮、風、春の足音に調子を合わせつつ、岸辺を離れたりまた接岸したりを繰り返し、やがて根室海峡や南千島列島の島々の間をすり抜けて太平洋に流れ去って行く。
 この状況を把握することは、オホーツク海での漁船の操業、船舶の航行の安全上極めて重要で、このため八戸基地のVP部隊は、P2Vの時代から気象庁に協力して流氷の観測を行なっている。
 観測のためのコースは、三種類ある。
 一つは、北海道東岸沿いを飛行するコースで、「お、だいぶ寄せて来たな」と、流氷群の規模と接岸の状況を調べるものである。
 二つ目は、オホーツク海上空を北々東に向けて真っ直ぐ突っ込んで行くコース、これは流氷のストックがあとどれぐらいあるかを見ておこうというもの。
 最後は、太平洋を南千島列島沿いに飛行して、「うむ、行ってしまったようだな」と、確認するコースである。
 晴れた日の観測飛行に当たると、素晴らしい風景に巡り会うことができる。さわやかに明るい青空の下、白く輝く一面の流氷群、氷の切れ間にのぞく海面の藍色、あくまで透明な空気の中に広がるこのパノラマは、息をのむ美しさである。
 氷の下でダンスを踊っているはずの、「流氷の天使」の名で知られるクリオネにまで思いが及ぶと、「春は近いぞ― っ」という思いがわっと胸に溢れる。
 流氷の大きさは、大は飛行機が離着陸できそうなものから、小は両手で抱えられるほどなものまでさまざまである。当然そのまま水割りグラスに放り込めるものもあるのだろうが、機上からそこまでは見えない。
 賢い人物にかかると、この氷の種類でその産地が類推でき、氷群の組成から流氷の総体的な動向までがわかるらしいのだが、私にはまるきりである。
 曇りの日にも、またそれなりの美しさがある。灰色の空、白くくすんだ流氷、間にのぞく海面は鉛色、モノトーンの悲壮美、荘重美。これに一、二羽の海鳥が舞うのが見えたりすると、風景がそのまま一つのドラマになる。
 この流氷観測については、年に一度、新聞、雑誌に対する取材協力も行なっている。そのつど報道されるので、流氷に覆われたオホーツク海のビデオや写真を目にした人も多いはずである。

 航空写真について少し。
 航空写真では、窓を通して撮影するのは、邪道というかズボラというか、良心的とは言えない。小型機やヘリコプターを使用しての空中撮影でも、いくら寒かろうと窓を開けて撮影するのが常道である。なぜなら、窓越しでは窓ガラスによる鮮明度の低下が避けられないからである。
 P2V、P‐2Jでは後部見張り席の窓を開放して撮影した。落下防止用のモンキーバンド(名称から想像されるとおりの代物)を着けての撮影である。エンジンの排気が邪魔な場合は、写界から外すように飛行機を傾ける。重要な撮影の場合はエンジンを停止する場合もある。
 ところがP‐3の場合はちょっと事情が違う。与圧装置のおかげで窓が開けられない、と言うより窓が開く機構になっていないのである。そこで主操縦席の後方に直径二〇センチばかりの写真撮影用の窓がある。写真の質の低下を避けるため、完全に平滑でキズのない光学ガラスが使用してあるが、小さいので不便さは免れない。
 そのうえに、並んで飛行しながら左窓から撮影する関係上、P‐3Cで撮影した航空機の写真は、すべて右向きの写真になってしまうという不都合もある。
 外国艦艇の識別写真を撮影するような場合は、カメラマン(AO:機上武器員)とパイロットの連携が重要である。
「もうちょい右、オーケー、そのまま、少し左にバンクとって……」
 このときばかりは、AOがご主人さまである。

 航空隊司令という配置は、パイロットとしての醍醐味は少ない。飛行作業は、訓練飛行・任務飛行を問わずチーム編成で実施するので、司令の割り込む余地はない。それに会議だの来客だの地上の行事だのに縛られて、長時間のフライトに従事できる日はそう多くない。
 フライトといえば、せいぜい定期整備や不具合修復後のテストフライト、新着任パイロットの練成訓練、チーム訓練の査察などが回ってくる程度で、一向に練度が上がらないままに一年と九ヵ月が過ぎた。
 苦労が多い配置は月日の経過を遅く感じるうえに、勤務期間も長引いたりするが、ごきげんな配置は月日の経つのが速く、得てして勤務期間は短い。たまに長く腰を据えているのがいると、「人事課に袖の下を使ってるんじやないか」などと、とんでもないことを言われたりもする。
 ともかく、一年九ヵ月、群司令の指導とわが副長以下のバックアップよろしきを得て、無事に司令の職を勤め上げ、下総教育航空群司令部首席幕僚として転出した。
 時は平成四年(一九九二年)の十二月半ばである。