翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

またまたまた地上勤務 (1)

 下総基地勤務は三度目なのだが、前回はたった六カ月で部隊ごと厚木へ移動してしまったので、まるで馴染みがない。
 しかし今度の配置は司令部首席幕僚ということで、基地内全般のもろもろが守備範囲に入る。私の下総勤務は、基地内のどこに何があるかの勉強から始まった。
 この基地には、教育航空集団司令部、下総教育航空群、第三術科学校、下総航空工作所、移動通信隊、下総調査分遣隊及び下総警務分遣隊と七つ、直接の指揮系統で結ばれている教育航空集団司令部と下総教育航空群以外は、所属も任務も違う部隊・機関が雑居している。
 下総教育航空群には、第二〇五教育航空隊(TACCO及びクルーのYS‐11Tによる飛行の基礎教育)、第二〇六教育航空隊(P‐3Cによるパイロット、TACCOを含む搭乗員教育)、第二〇一支援整備隊及び下総航空基地隊の四つの部隊がある。(平成九年[一九九七年]三月、教育体制の変化に伴う部隊の新編、解隊などで不統一になっていたものを修正するため、二〇六教空は二〇三教空に、二〇一支整は二〇三支整にそれぞれ改称された)
 下総教育航空群は、基地の管理運営を担当しており、言ってみればこの基地の家主である。そういうことで、私が統括することになる司令部幕僚室の業務も雑多である。
 とはいえ、構成がややこしい割りには皆それなりに仲良く折り合っている。

 二〇六教空での教育は、固定翼搭乗員の教育の最終段階であり、その修業式には搭乗員であることを示すウイングマークが授与される。パイロツト、TACCOのは金色、クルーのは銀色の記章である。私の時代には、パイロットはもう一つ前の計器飛行課程修了時に授与されたのであるが、今では全職種とも、ここを修業して部隊に配属される段階で授与される。
 マーチ「軍艦」に送られて、眼を輝かせて部隊へと出発して行く彼らを見送りながら、私は感無量である。
 なにしろ、私がウイングマークをつけた時点では、彼らの誰一人として生まれてさえいなかったのである。自分が老兵の部類に入ったことを否応なしに思い知らされる。
 ともかく二一世紀は彼らの時代になる。
「頑張れよ」
 私は胸のうちでつぶやきつつ帽子を振る。

 平成五年十二月。何ごともなく一年が終わろうとしている……と思っていた。
 その日は夕刻から、教育航空集団司令官、第三術科学校長はじめ基地の主だった幹部一〇名ばかりで、忘年会を兼ねた夕食会を開いていた。場所は基地から少し離れた印西市のとある焼き肉屋である。
 肉の焼ける香ばしい匂いが充満する中で、そろそろカラオケでも出しますかという頃あい、基地の当直幹部から電話があった。
「燃料施設付近で爆発音がした。負傷者が出たらしく救急車が動いたのでとりあえず報告する。詳細は判明次第報告する」という内容である。
「過激派のロケット攻撃でしょうか。ともかく帰ってみます」
 同席の皆に断わって、すぐにタクシーで基地に向かう。
 ……いったい何が起こったのか。
 車の中であれこれ想像するうち、今朝の日例会報で、「今日から業者が燃料タンクの修理作業を開始する」という報告があったのをふっと思い出した。燃料タンクやタンカーの油槽の作業は、爆発と隣り合わせの極めて危険な作業である。
 ……多分それだな。大したことでなければいいが……。
 予感は的中していた。現場に駆け付けてみると、基地内の消防車のほか周辺から駆け付けた消防車が取り巻く中、タンクの一つが煙か蒸気か、もうもうと白いものを吐いている。
「まだ中に一名いるんです。あの調子で救助できないところです」
 近くにいた基地隊の幹部に聞くと、そういう返事。