翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

T-5 (1)

 平成六年(一九九四年)八月。
 この年の夏は暑かった。四国、北九州など各地で深刻な水不足が伝えられていた。そんな暑いさなか、下関市の小月基地に着任。
 思えば初めて小月の地を踏んだのが昭和三十五年(一九六〇年)の夏であった。あれから三四年が経過している。その間、YSの輸送業務でたまに立ち寄るくらいで、小月の町(下関市小月町)はおろか基地内の飛行場地区以外の場所にもまったく縁がなかった。懐かしいにもなんにも、当時の記憶自体がほとんど消えかけている。
 着任行事。
 隊司令の交代にはこれに伴う一定の方式がある。朝の初登庁時からこの行事は始まる。隊員の整列する中、前任の司令で航空学生同期生でもある山崎隆偉一佐の出迎えを受ける。多分に儀礼的な申し継ぎ(実質的なものは電話などですでに済ませてある)を済ませて群司令に交代終了を報告、隊員と共に岩国の七一空(US‐1飛行艇の救難航空隊)司令に転出する山崎一佐を見送る。
 次いで幹部挨拶。
 幹部自衛官総員が先任順に数名ずつ司令の前に並んで、配置と姓名を申告する。副長、隊長、班長……。大半がどこかの部隊で一緒に勤務した記憶のある連中、しかもそのほとんどがここ何年、いや十何年、二十何年会うことのなかった顔である。
 それが皆、今や三佐の老練教官(五〇名弱の操縦教官の約七割が三佐、しかも全体の九割は航空学生出身者である)である。懐かしい、嬉しい。自衛隊生活最後の配置で、この連中と一緒に勤務できる。胸が熱くなる。
 隊内点検。
 部隊の使用する事務室、格納庫、講堂、学生居住区、隊員居住区などを回る。だんだんに昔のことが思い出されてくる。庁舎のごちゃごちゃ入り組んだ狭い廊下、三階からエプロンに張り出したガラス張りの飛行指揮所。格納庫には翼を互い違いにしてぎっしり収められた練習機。
 行事の最後のしめくくりは着任訓示である。
「今日から私が当隊の指揮をとる。本部員、教官、学生、列線整備隊員、それぞれの持ち場において本分を尽くせ」
 ほかにも何か言ったような気もするが、それにしても一分とはかからなかった。
 行事が終われば、皆すぐに飛行服、作業服に着替えて飛行作業にかかる。学生、列線整備隊員総員で、格納庫から飛行機を押し出してエプロンに並べる。飛行前点検が始まる。教官、学生は飛行前のブリーフィングである。
 私は、飛行指揮所からその様子を眺めながら、懐旧の思いと幸福感をかみしめている。