翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

T-5 (2)

 二〇一教空は、三〇機余りのT‐5と数機のKM‐2を保有している。
 KM‐2は、この時点で海自唯一のレシプロ機である。T‐34メンターを機体に大改造を加えて四席にしたもので、海自の初級練習機としては、かのSNJと現在の主力機T‐5の中間に位置する機である。
 我々の時代、初級操縦教育はT‐34とSNJの二機種で行なわれたが、やがてKM ‐2のみで行なう方式に移り、ついでT‐5にと変遷をたどってきた。
 一時は三十数機を数えたKM‐2も、逐次減少して今では数機が残るだけ、陸上自衛隊からの委託学生の教育のみに使用しているが、それも平成八年度からはT‐5に切り替えねばならない。
 T‐5はターボプロップ式でKM‐2と同じく四席である。機体そのものはKM‐2をもとにしているが、箱型のキャビンを透明プラスチックのキャノピー式(ドーム型)にしたせいで、印象がまったく違う。前二席に教官、学生が搭乗して教育を行なう。アクロバットなどを含む科目以外のフライトでは、後席に前席の学生とペアの学生が同乗して見学する。タ―ボプロツプだということもあって、極めて軽快、高性能、簡単すぎて教育に向かないんじゃないか、という議論がでたほど取り扱いも操縦もやさしく、言わば自動車感覚で乗れる飛行機である。
 ここでの教務は、基本的には我々の時代と変わっていない。
 まず基本飛行、次いで離着陸、ソロ検定とそれに続くソロ飛行。ソロとはいっても、主・副操縦席が並んでいるサイド・バイ・サイドなので、学生同士が左右の操縦席に座る学生互乗飛行になる。
 次のステージはアクロバットで、これが終わった時点で志望と適性によってパイロット要員と戦術士要員とに分けられる。戦術士要員は概ね全体の三分の一弱というところである。
 以後、戦術士要員は若干の計器飛行、航法飛行の教務を受けて修業、下総に移動、二〇五、二〇六教空(現在の二〇三教空)で戦術士課程の飛行教育を終えて部隊に出る、というコースをたどることになる。パイロット要員は、何事もなければ計器飛行、編隊飛行、夜間飛行、航法飛行と進んで、修業の日を迎え、徳島、二〇二教空の計器飛行課程へと巣立って行く。
 教官は往時と違って紳士であり、親切である。担当教官は、どうにも覚えが悪い、技量が伸びないという者には、夜中まで付き合ってやったりして、どうにか修業させようと努力を惜しまない。
 我々の時代は、規定の教務について行けない者は能力不足、適性不足として切り捨てられたものであるが、一八○度の転回である。そのどちらがいいかについては、いろいろな意見がある。
 とっつきのいい者、悪い者、個人差があるのであるから、早々に判断して芽を摘むべきではない。それに、簡単に有為の若者の夢をくじいていいものだろうか。これは楽観派、温情派の論である。
 規定の時間で規定の知識、技量を身に付けるというのが求められている能力、適性というものである。
 規定以上の手間をかけるのはカンニングであり、資質の低いパイロットを送り出すことにつながる。と、こちらは冷徹派、愛国派、硬派。
 私は後者にうなずきつつ前者を選ぶという優柔不断派である。
 いずれにしても罷免になる学生は出る。
 まずしょっぱな、まれに空酔いで意欲喪失する者が出る。次いでソロ検定に合格できない者。ソロには出ても、いろいろと判断や処置を求められる段階で対応できない者。罷免率は、航空学生のクラスで十数パーセント、幹部学生ではそれより数パーセン卜低くなる。