翔べ!海上自衛隊航空学生 - パイロット人生38年の航跡 -

岡崎 拓生

T-5 (4)

 大学進学率の上昇は、相対的に航空学生の募集対象となる高校生の減少をきたしている。
 その影響で、採用当初の学生の平均的学力が低下傾向を示しているのも事実である。
 しかし私は思う。入隊時の学力が「頭の良さ」の程度を表わしているわけではない。彼らのほとんどは高校では就職組である。進学組ほど真剣に勉強しなかったことは間違いのないところで、要するにその結果なのである。
 そういうことで、私は心配しない。それどころか、私の目の前にいるこの学生たちの、きびきびした言語動作はどうだ。目の輝きはどうだ。体力面でもかなりのハイレベルにある。
 グウタラ大学生や街角にたむろするガキどもとは比べようもない頼もしさではないか。
 これはここ小月、三二一教空(現在の小月教育航空隊)で、入隊以来しっかリシゴき上げた成果でもある。ともあれ、一途に飛行教育に臨んでいる彼らを見ていると、いまどきの若い者もなかなか大したものだ、と思わせられる。
 ともかく彼らは二一世紀初頭の海上航空を担うべき立場にいる。これは否も応もない現実なのである。
 頑張ってほしい。きっと頑張ってくれるだろう。

 二〇一教空司令在職ちょうど二年で、制服を脱ぐことになった。定年退職にはほんのちょっとだけまだ間があるが、交代人事の都合もあるので勧奨に従うことにしたのである。三七年と四カ月の自衛隊生活であった。
 平成八年(一九九六年)八月一日、着任した日と同様、晴れわたった空から、朝だというのに汗ばむほど暑い陽ざしが降り注ぐなか、整列した隊員の見送りを受けて隊門を後にする。
 愛車を駆って中国自動車道、名神、東名自動車道を一気通貫に走破し、夜半、松戸の自宅に帰り着く。翌日は妻を伴って東北自動車道を北上、津軽に向かう。八戸時代から付き合いのある知人の誘いで、青森ねぶた、弘前ねぷたをセットで見物しようというのである。
 北国も夏まっさかり、太陽は白いまぶしい光を振りまいている。空には一点の雲もない。
 大鰐・弘前I・Cで自動車道を下りて少し行くと、突然、眼前に津軽平野が展開した。山間の道を走ってきたせいか、いきなり目の前に広がった空間にわけもなく胸をつかれた。三十数年前、初めてメンターで大空に舞い上がったあのときの感覚にどこか似ていた。
「疲れたでしょう」
 妻が言った。
「いや、そうでもないよ」

(完)