「東日本大震災出動即応予備自衛官・
予備自衛官アンケート集」

第301普通科直接支援中隊
 即応予備2曹
 上遠野 信恵

1 経歴(自衛隊での勤務及び退職後の勤務状況等を含む。)や即応予備自衛官を希望された動機を教えて下さい。

私は、第1教育連隊(多賀城)に平成5年入隊し、その後、東北方面武器隊(仙台)に配属、平成13年3月に退職致しました。今は宮城野区蒲生にあります(株)クリエイト江川整備工場の事務員として勤務しております。
即応予備自衛官は、自衛隊退職時に上司に進められ、平成13年から即応予備自衛官として山形の神町駐屯地にありました第6後方支援連隊武器大隊に配属されました。

2 大震災発災時はどこで何をしておられましたか?また、その時、災害招集があるかもしれないと思われましたか?

震災時は、仕事中で宮城野区扇町にあります陸運支局に居ました。招集があるかというより、蒲生にあります自分の会社が大丈夫かと心配でした。

3 災害招集に係る事前調整があったかと思いますが、その時の正直な気持ちを教えてください。

はじめての災害派遣でもあり、「何をするのだろうか」ととても不安でした。

4 招集に応じるにあたって、会社の上司等には相談されたと思いますが、上司等の反応はいかがでしたか?

こころよく災害派遣に出ることを賛成してくれました。

5 また、職場の同僚やご家族の方々はどうだったのでしょうか?

会社が津波被害を受けてしまい、私も災害派遣に行く事に戸惑いましたが、会社の方々は、「心配しなくていいから」「任務なんだから頑張って来てください」と言ってくれました。
家族は県外におり、こちらの状況がテレビでしか確認できなかったので、災害派遣で招集されると話した時は、「頑張ってね」と言うことしかできなかったことがとてもつらかったそうです。

6 長期間不在にされることによる問題点等は、どのようにして解決されましたか?

自宅には誰も居なかったため、余震が多く家のことが心配でしたが、近所の方にお願いしてきました。

7 どこで、どのような災害救援活動に従事されましたか?

最初は、七ヶ浜で入浴支援をし、その後、塩釜ガス体育館で入浴支援、多賀城での捜索、宮城野区で配食支援も行いました。

8 いろいろなご苦労があったものと思いますが、差し支えない範囲でお話いただけますか?

苦労が無かったと言えば嘘になりますが、被災者の事を思えば苦労を苦労と感じません。

9 現役の隊員諸官と一緒または近くで活動されたと思いますが、現役隊員諸官との連携はどうでしたか?

常に、即応予備自衛官である私達の先頭になり、的確な指示を受けたので戸惑うことなく動くことができました。

10 即応予備自衛官としての招集訓練の成果はありましたか?同じ即応予備自衛官の仲間との協同連携はどうでしたか?

私の部隊の即応予備自衛官は、団結が強く、誰に言われなくても自然に周りを助けることができる人ばかりです。一緒に仕事をしていて凄いなと思います。震災での不安も、仲間といる時は感じずとても心強かったです。招集訓練は、かなり成果があったと思います。

11 今回の派遣を通じて被災地の方々との交流もあり、それが絆となって続いているということもあるのではないかと思いますが、そのような交流はあったのでしょうか?

災害派遣時は、色々とお世話をしたり交流はありました。今は続いてはいませんが、みんな元気にしているのかなと会いたくなる時があります。

12 さて、任務を終了して本来業務に戻られた訳ですが、周囲の方々の反応はどうでしたか?派遣前と派遣後でご自身が変わったと感じられたでしょうか?

周囲の方々からは、「任務お疲れ様でした」と言われました。自分自身としてはあまり変わらないと思いますが、一日一日を大切に過ごしたいと感じるようになりました。

13 将来同じような大規模災害が起きた場合、次回も出頭に応じられますか?

今回の災害派遣で、助けを求める人々の役に立ちたいという気持ちが強くなりました。次回無いことを願いますが、もし同じ災害が起きたとしたら必ず出頭します。

14 被災された方々へのメッセージをお願い致します。

私が災害派遣に出頭し被災者を勇気づけるつもりが、笑顔で話しかけてくれたりと、逆に私達が元気を貰いました。本当にありがとうございます。