「東日本大震災出動即応予備自衛官・
予備自衛官アンケート集」

宮城地方協力本部
 予備2曹
 浅野 智昭

1 経歴(自衛隊での勤務及び退職後の勤務状況等を含む。)や予備自衛官を希望された動機を教えて下さい。

自衛隊への英会話の講師派遣に携わっていたときに、予備自衛官補制度について知りました。そこで、何か私も母国のために貢献できるのではないかと思い、予備自衛官補(技能)に応募させていただきました。

2 大震災発災時はどこで何をしておられましたか?また、その時、災害招集があるかもしれないと思われましたか?

私は、取引先の幼稚園でミーティングをしていました。丁度ミーティングが終わろうとした時に大震災に遭いました。園児達を無事に保護者へ引き渡してから、自分の家族のことも考えましたが、やはり未曾有の災害であることは、大震災直後から直感的にわかりましたので、災害招集は予想しました。ただ、米軍との共同作戦については、まだその時点では予想できませんでした。

3 災害招集に係る事前調整があったかと思いますが、その時の正直な気持ちを教えてください。

私の家族は、幸運なことに皆無事でした。そして、私の地元仙台を中心に宮城でも甚大な被害が出ましたので、是非、是非、災害招集に加わりたいとお伝え致しました。

4 招集に応じるにあたって、会社の上司等には相談されたと思いますが、上司等の反応はいかがでしたか?

会社の上司は、未曾有の災害なので、是非、国の力になってきなさいと大きな理解を示してくれました。

5 また、職場の同僚やご家族の方々はどうだったのでしょうか?

職場の同僚は、私の力が未曾有の災害時に役に立てると、とても応援してくれました。
もちろん、家族も災害派遣に大いに賛成してくれました。父は、元防衛技官ですので、災害派遣に出頭する私の意思を尊重してくれました。

6 長期間不在にされることによる問題点等は、どのようにして解決されましたか?

私が経営している会社は、学校法人様がお客様なので、大震災時にはちょうど春休み期間でしたので、会社的には長期不在は問題がありませんでした。家族も、父や母などが協力してくれましたので特に問題はありませんでした。

7 どこで、どのような災害救援活動に従事されましたか?

東北方面総監部で通訳班に所属して、通訳の任務に就きました。現場では「トモダチ作戦」に参加して、米軍の物資を米軍と一緒に仙台空港から各地区へ運搬しました。更に米軍が避難所にシャワー設置する際の通訳業務に従事しました。

8 いろいろなご苦労があったものと思いますが、差し支えない範囲でお話いただけますか?

個人的には、軍事英語の難しさもありましたが、やはり緊急時の対応なので、昼間は現場、夜間は総監部での任務と昼夜問わずの活動となりました。普段は規則正しい生活をしておりますので、緊急時の活動を前提にした日頃からの鍛錬が必要だと痛感しました。その他、被災地での活動に耐えられるようなメンタルも鍛えなければと思いました。

9 現役の隊員諸官と一緒または近くで活動されたと思いますが、現役隊員諸官との連携はどうでしたか?

大震災時という非常事態でも現役自衛官の方々は、技能公募予備自衛官である私達の活動範囲を非常に良く理解していましたので、私達を効率的に災害派遣の現場や総監部での活動に投入してくれました。現役自衛官、技能公募予備自衛官のほとんどが日米共同訓練の参加経験がありましたので、連携はとてもよくできていたと思います。

10 予備自衛官としての招集訓練の成果はありましたか?同じ予備自衛官の仲間との協同連携はどうでしたか?

災害派遣に加わった技能公募予備自衛官3名うち、私ともう1名は、複数回の日米共同訓練参加経験があり、お互いに顔見知りでしたので、米軍との作戦も含め予備自衛官仲間との共同連携はとても良くできました。1名はこのような米軍との共同作戦は初めてでしたが、私達経験者がいろいろとアドバイスをしたのでスムーズに共同連携ができたと思います。

11 今回の派遣を通じて被災地の方々との交流もあり、それが絆となって続いているということもあるのではないかと思いますが、そのような交流はあったのでしょうか?

先に触れさせていただきました通り、総監部と米軍輸送部隊との共同作戦が私の主な任務でありましたので、被災地の方々との交流は、私個人としてはほとんどございませんでした。
 しかしながら、今でも米軍側の通訳の方とは、時々メールなどで交流をしております。

12 さて、任務を終了して本来業務に戻られた訳ですが、周囲の方々の反応はどうでしたか?派遣前と派遣後でご自身が変わったと感じられたでしょうか?

周囲からは、「自分も被災している中でよく災害派遣に行ってきた。御苦労さまでした。」という多くの労いの言葉をいただきました。とても嬉しかったのですが、多くの自衛官や警察官が被災時から家にも帰れず、家族の安否も分からずに災害派遣活動に従事したことを思うと私もまだまだで、「次の災害派遣や有事の時には頑張らないと」と、気を引き締めました。派遣後と派遣前では、自分は特に変化はありませんでした。しかし、将来的には予備自衛官の有事の際の招集もありうると気を引き締めました。

13 将来同じような大規模災害が起きた場合、次回も出頭に応じられますか?

もちろん、出頭致します。

14 被災された方々へのメッセージをお願い致します。

私も被災者になり、故郷がこんなにも無残に、大震災により一瞬で破壊されるとは夢にも思いませんでした。特に、仙台市沿岸の海岸は、アメリカから帰国してから波乗りで毎週末通っていた思い出深い場所です。いつも変わらないであり続けた砂浜が、思い出ともに無残にもなくなり、人生で初めて心が折れました。そして、沿岸部に居住していた皆様、家族や家を津波でなくされた皆様のことを考えますと本当に心が痛みます。しかし、是非また、あの美しい海・海岸・街をいつか一緒に取り戻しましょう。とても長い時間がかかるかもしれませんが、必ず取り戻しましょう。止まない雨はありません。気長に辛抱強く、一歩一歩一緒に頑張りましょう。