東日本大震災出動指揮官インタビュー(3)
「“海上からの救援”― 出来る範囲で創意工夫を」

あの「3.11」から1年。海上からの救援活動であまり知られていない、海上自衛隊出動部隊の指揮官に対するインタビュー第2弾を2回にわたりお届けします。
 「東日本大震災出動指揮官インタビュー(3)」として、今回は発生直後海外派遣任務を中止し、帰国後いち早く現場に出動した当時の第1輸送隊司令佐々木俊也元1等海佐にお聞きしました。
 佐々木司令は、輸送艦「おおすみ」に乗艦指揮し、宮城県沖に進出、輸送用エアークッション艇(LCAC)を上陸させ救援物資の輸送等を実施しました。この任務を最後に、平成23年5月海上自衛隊を退官、現在はNTTコミュニケーションズ(株)に勤めています。
 退官後の24年1月14日、横須賀市内でお話を伺いました。

(インタビュアー:山田道雄理事)

前第1輸送隊司令 1等海佐 佐々木 俊也 (ささき しゅんや)

略歴
昭和30年北海道室蘭市出身。
防衛大学校卒(23期)。
同54年海上自衛隊入隊。
護衛艦・練習艦3隻の艦長、第25護衛隊司令等。
平成21年3月から同23年4月まで第1輸送隊司令。
同23年5月海上自衛隊退官。
現在NTTコミュニケーションズ(株)勤務。

――佐々木司令、本日は敢えてこう呼ばせて頂きますが、お忙しいところ時間をとって頂き有難うございました。
 第1輸送隊は、3.11東日本大震災の際は海外で行動中だったと伺っていますが、まず第1輸送隊の編成と任務、最近の活動等について。

佐々木 第1輸送隊は護衛艦隊隷下で呉を母港とし、おおすみ型輸送艦3隻とLCAC(エアクッション艇)6隻をもって編成されています。
 任務は全て自衛隊法に基づいておりますが、平時においては「海上輸送(硫黄島・父島への物資業務輸送等)」「国際緊急援助活動」「国際平和維持活動等」「在外邦人等輸送」「災害派遣」対応であり、有事においては「海上作戦輸送」等の任務に従事します。
 最近の第1輸送隊の主な活動としては、平成23年5月から7月までの間、米海軍病院船「マーシー」号とともにパシフィック・パートナーシップ2010(PP10)に参加し、東南アジア方面において人員・物資輸送、文化交流、医療支援活動等に従事しました。また、平成23年8月から11月までの間、パキスタン国際緊急援助活動に参加し、陸上自衛隊ヘリ等の輸送任務に従事しました。

――海外活動が多いのですね。昨年3月11日の地震発生時、どこで何をされていましたか。

佐々木 私は地震発生時、唯一の可動艦である「おおすみ」(艦長 田邉明彦1佐―現ひゅうが艦長)に乗艦し、インドネシアのマナド市(スラウェシ島最北端)で開催される「ARF-DiREx2011」(第2回ARF災害救援実働演習:DiREx)に参加するため、陸上・航空自衛隊のヘリコプター等を搭載し、3月5日呉を出港、12日の入港に備え、スラウェシ島北方海域を航海中でした。
 隊の他の2隻はいずれも年次検査に従事中であり、「しもきた」(艦長 大久保幸彦2佐)は三井造船㈱玉野工場に、「くにさき」(艦長 鍛治次郎2佐)は諸搭載のため呉に、それぞれ停泊中でした。発生時災害派遣に即応できる輸送艦はありませんでした。

――輸送艦の平時の待機態勢はどのようになっているのですか。

佐々木 通常は、国際緊急援助活動、在外邦人等輸送、災害派遣等に対応するため、常時1隻の輸送艦が待機艦として指定されています。平成22年度については、年度当初、2回の輸送艦の海外派遣が計画されていたことから、修理時期等を調整し、国内に1隻の待機艦を確保していました。
 しかしながら、パキスタン国際緊急援助活動として「しもきた」の派遣が追加されたため、再度、修理時期等を変更した結果、平成23年3月上旬の約10日間、待機艦を確保できない状態となっていました。

――そのような状況では3隻体制では不十分では。

佐々木 四半期毎の硫黄島・父島への物資輸送業務、年々増加傾向にある地方自治体等との防災訓練、約6ヶ月間のLCAC操縦士養成課程の訓練等をこなすには、現状の3隻体制では大変厳しい状況にあります。これに海外派遣(訓練を含む)が追加された場合、国内における業務輸送等の実施が極めて困難になります。
 現職当時から上級司令部へは4隻目が必要であることを申し上げてきましたし、退職した現在でも、個人的には早期に4隻目の輸送艦を建造する必要があるものと考えています。現に、後述致しますが、東日本大震災への災害派遣に即応出来なかったことは事実ですから、これは深刻な問題だと思います。

――地震発生はどのような形で知りましたか。

佐々木 上級司令部等とは、海自が独自に整備してきました通信衛星(Kuバンド帯)により通信が可能な状態でしたので、本衛星通信を通じて地震発生を知りました。当然、BSテレビ等は映りませんので、映像では確認することはできませんでしたが、メール等により被害の大きさを知ることはできていました。日本への帰国途中、BSテレビを受信できる海域に到達し、映像を見て、改めて被害の甚大さに心が痛みました。

――地震発生直後、第1輸送隊としてはどのような処置を。

佐々木 「くにさき」は災害派遣対応のため、11日取り急ぎ年次検査を完了させ、弾薬は未搭載状態でしたが、当日深夜までに広島県のDMAT(災害派遣医療チーム)28名等を乗せて横須賀まで輸送しています。13日横須賀において救援物資等を搭載し、海災部隊(後に統合任務部隊)として14日石巻湾へ向かいました。


DMAT車両を搭載中の「くにさき」(3月11日、呉)

――そのような調整、指示は「おおすみ」乗艦の隊司令部が直接実施されたのですか。

佐々木 はい。「おおすみ」は日本のはるか南方海域(日本から約2,100海里)に所在していましたが、隊司令部は前述しました海上自衛隊独自の衛星通信経由で上級司令部とは円滑な調整・報告・情報交換等が可能でした。11日夜、DiRExへの参加中止の決定を受け、「おおすみ」はスラウェシ島の北方約135海里の地点で反転、16日横須賀において、陸上・航空自衛隊ヘリの搭載解除等と並行して救援物資等を搭載、17日統合任務部隊として小名浜港・仙台塩釜港へ向かいました。



陸自航空機を搭載解除作業中の「おおすみ」(3月17日、横須賀)


おおすみ車両甲板に搭載した救援物資の山(3月17日、横須賀)

18日には、隊付 稲員敏之1尉が操縦する「おおすみ」搭載LCACが狭隘(きょうあい)な小名浜の海岸にビーチングし、救援物資の陸揚げをしました。

――TVニュースで拝見した記憶があります。実動の任務でLCACがビーチングしたのは今回が海自初ですか。

佐々木 国内における災害派遣において、LCACがビーチングにより車両等の輸送を実施したのは平成19年の「新潟県中越地震災害派遣」に引き続き、今回が2度目となります。また、海外においては、平成14年の「東ティモール国際平和協力業務」、平成17年の「インドネシア国際緊急援助活動」の際、LCACにより車両等の輸送を実施しています。


狭隘な海岸にビーチングし、救援物資陸揚げ中のLCAC(3月18日、小名浜)


救援物資陸揚げ中のLCAC と航行中の「おおすみ」(3月18日、小名浜)

――輸送艦自体による物資陸揚げの状況について。

佐々木 輸送艦による小名浜港・仙台塩釜港への救援物資の陸揚げについては、岸壁等の係留施設に問題はないものの、タグボートの船長が避難してタグボートが使えないというアクシデントがありましたが、「おおすみ」「くにさき」両艦長の優れた操艦によりタグボートの支援を受けることなく横付けし、延べ約851tonに及ぶ全ての救援物資の陸揚げを無事に完了することができました。

――そのような情況を想定して輸送艦にはバウスラスターを装備したと聞いていましたが有効でしたか。

佐々木 バウスラスターは非常に有効でありました。しかしながら、輸送艦は大型艦であることから風・潮等の外力の影響を受けます。したがって、強風下においては、バウスラスターの効果が減少するため、タグボートの支援が必要となります。
 本災害派遣においては、各艦長に対して、外力の影響が強い場合は、「無理してまで岸壁に横付ける必要はない。」と指示しておりました。岸壁への横付けができない場合は、作業完了までに長時間を必要としますが、LCACによる物資陸揚げは可能な状態でありましたので。


救援物資陸揚げ中の「おおすみ」(3月18日、小名浜港)


救援物資陸揚げ中の「おおすみ」(3月19日、仙台塩釜浜港)

――震災直後陸、空に較べて海自は顔が見えないと言われていました。18日、LCACの映像がテレビに登場し、海自の活動が一般国民に認識されたと感じました。即応出来なかった事情があるにせよ、LCAC運用の特質からは遅い感がしますが。

佐々木 LCACの優れた初動、輸送能力はメディアでも取り上げられ、周知の事実となっていますが、牡鹿半島地区におけるLCAC輸送に関しては陸自との調整が必要でした。
 孤立した地域へLCACにより救援物資を効率的に輸送するためには、通常海岸へ直接ビーチング(乗り上げ)します。したがって、我々は出来るだけ速やかに救援物資を輸送するためには海岸へのビーチングが必須である旨を陸自に説明しましたが、このビーチングは陸自が当該海岸の事前確認(スクリーニングと称するご遺体の確認を含めた陸上自衛隊による現場の確認作業)を実施していないことから許可されませんでした。
 このため、我々は地盤沈下(牡鹿半島地区で最大約80cmの地盤沈下が観測されたとの報道有り)した岸壁へ満潮時にビーチングを計画することとしました。ただし、この岸壁へのビーチングについても、陸自が救援物資の輸送車両等を先導することを条件に認められたというのが真相です。


岸壁にビーチングし、救援物資陸揚げ中のLCAC (3月20日、石巻湾渡波漁港)

――初めて統合部隊が編成され指揮系統上は陸自(東北方面総監部)の指揮下に入ったため、そのような事情があった訳でしたか。そのスクリーニングを海自部隊独自で行うことは。

佐々木 海上自衛隊による確認作業は一切認められませんでした。

――大規模な災害救援初期における人命救助には現場指揮官の独断専行が鍵となりますが、なまじ統合部隊が編成されたため、普段から緊密な訓練を通じて相互の運用、能力を理解していないとそのような齟齬は十分起こり得ますね。
 その他救援物資輸送以外の活動について。

佐々木 情勢の変化に伴い、新たな任務として27日以降は、牡鹿半島・松島湾・石巻湾地区において輸送艦艦内での入浴支援(延べ約4,230名+災害派遣活動中の陸自隊員約740名)を実施しました。この時、多数の入浴者の皆さんを安全に乗・退艦させる輸送手段として輸送艦搭載のLCAC2隻を最大限に活用しました。
 4月6日修理を終わった「しもきた」も統合任務部隊に編入され、以後、輸送艦3隻のローテーションによる支援活動は6月27日まで続きました。この間、入浴された皆様からは多くの「笑顔と感謝の言葉」を頂きました。この「笑顔と感謝の言葉」が輸送艦・LCAC乗員のエネルギーとなり、任務を完遂できたと言っても過言ではありません。


おおすみ車両甲板での入浴(3月26日、牡鹿半島給分漁港地区)

――関東大震災、阪神淡路大震災、今回の東日本大震災のいずれにおいても洋上からの救援活動が有効と言われていますが。

佐々木 確かに陸上における交通手段が途絶した時点においては、物資輸送に関しても、人員輸送に関しても海上からの救援活動が非常に有効な手段だと思います。その意味からも常日頃から地方自治体との防災訓練等(物資の運搬要領、支援要領等)は必要です。
 今回の災害派遣の活動初期において、我々は行方不明者の捜索・救難、救難物資輸送、医療・補給支援等の任務の任務に従事するとともに、事後の孤立地域への物資輸送等に備え、独自に牡鹿半島周辺の港湾被害調査を実施しました。救援物資輸送と港湾被害調査が一段落した時点(3月27日以降)で生活支援の一環として輸送艦艦内における入浴支援を開始しました。
 救援物資輸送においてLCACを活用したのは当然ですが、入浴者の輸送においてもLCACを最大限に活用しました。このLCACは、一度に最大約200名の人員輸送が可能であるとともに、老人・子供も安全に乗・退艦できる、すなわち護衛艦等へ内火艇を使用して乗・退艦する場合、急なラッタル(昇降階段)を昇り降りする必要がありますが、LCACを使用した場合、LCACを収容する甲板と入浴設備を設置した車両甲板が同一甲板にあるため、ラッタルを昇降する必要がない という特徴を有しております。
 また、行方不明者の捜索におきましてもニュース報道には無かったと記憶しておりますが、LCACが数体のご遺体を洋上において発見し、発見現場から陸上に待機する陸上自衛隊まで輸送するという活躍もありました。


入浴を終え車両甲板からLCACへ移動中(3月26日、牡鹿半島給分漁港地区)

――今回の災害派遣活動にあたって隊司令としてどのような事に留意されましたか。

佐々木 「できる範囲で創意工夫を」をスローガンとして、各艦に諸準備を指示しました。
 災害派遣開始に先立って、関連ではLCAC、PP10においてカンボジアの狭隘(きょうあい)な海岸にビーチングした経験、DiREx準備として呉のF-5桟橋で実施したLCACの桟橋横付け訓練・洋上において実施した漂流者救助訓練の訓練成果等を参考にして事前準備を行いました。
 入浴支援関連では、平成16年新潟県中越地震災害派遣時の経験を参考とし、入浴支援実施要領、救護所・休憩所、クロークを作成し、受入れ準備を整えました。更に、入浴支援の一端として、女性自衛官の乗艦支援を横須賀地方総監部等から受けました。
 入浴支援活動が順調に進む中、現地で活動中の陸上自衛隊隊員に対する入浴支援・給食支援・宿泊支援も開始しました。夕刻、陸上自衛隊の活動終了時に合せ、LCACで迎え、輸送艦艦内において夕食・洗濯・睡眠を取ってもらい、翌日の朝食後にLCACで現場へ復帰してもらうこととしました。一泊の宿泊でも鋭気を取り戻し、現場へ復帰する隊員の後姿を忘れることはできません。


陸自隊員に対する支援(3月29日、牡鹿半島鮎川漁港地区)

――特にご苦労、ご苦心されたことは。

佐々木 隊司令部及び「おおすみ」において地震発生の状況等は、上級司令部等からのメール・電話等により的確に確認できていました。被害の甚大さが判明するに従い、演習への参加中止を予期しておりましたが、なかなか演習参加への中止が決定されませんでした(防衛大臣が総理官邸に出向いていて、決定出ないとのことでした。)。このため、12日に入港するため引き続き南下するのか、帰国のため北上を開始するのか、現場指揮官に任された状態でした。
 私の方針としては、翌日の入港までの残SOA(進出速力)が15ktとなるまでは当該海域に留まることとしました。夕刻、残SOAが15ktを越えたため、止む無く南下を開始しましたが、その数時間後、正式に演習への参加中止が決定され、我々は呉へ向け北上を開始しました。14日、搭載中の陸上自衛隊給水車が事後災害派遣のため展開する予定であること、搭載中の陸上・航空自衛隊ヘリも霞目駐屯地・百里基地へ展開予定であることが判明したため、入港地を呉から横須賀へ変更するとともに、入港に関する諸手続きの調整を開始しました。
 このほか、演習参加を取り止めたことによる燃料・生糧品・港湾役務等の違約金の支払い等の残務処理におおすみ補給長が忙殺されたことは言うまでもありません。

――何か反省点はありますか。

佐々木 被災者の皆様の状況を積極的に報道する配慮に欠けていたことは、我々の反省事項と考えております。メディアが現地に入る前から、我々は海上から救助活動等を開始していまし、同時に写真撮影等も実施していました。しかし、撮影内容は被災状況等が主であり、生存されている方々の状況を撮影する配慮はありませんでした。
 被災者の皆さんの元気な姿を撮影し、メディアに先駆けて報道していれば、電話が繋がり難い状況にあっても遠隔地に居る親戚の皆さんに生存情報として情報配布ができたものと考えます。併せて海上自衛隊の活動状況もより国民の皆様に理解して頂けたのではないかと思います。

――第1輸送隊としての今後の課題、懸案事項はありますか。

佐々木 海自がLCACを導入してから約14年が経過、国際緊急援助活動・災害派遣等においても活躍できるまでに操縦技量等は向上してきましたが、未だ国内にLCAC訓練場が整備されていないのが現状です。
 現在は、硫黄島・父島へ物資輸送時等に硫黄島において操縦士等の養成訓練を行うとともに四国中央市・釧路市等の支援を得てLCACビーチング訓練・輸送艦が横付けた岸壁からの発進・収容訓練等を実施しており、ある程度の操縦技量を維持していますが、部隊側は、高度な操縦技量等の維持・後進の育成のためにはLCAC訓練場の整備が急務と感じています。

――隊員の士気・メンタルヘルスについてはどうでしたか。

佐々木 自分達が何を為すべきかを理解して活動していたため、不平を漏らす隊員は皆無で、士気は極めて旺盛でした。また、LCAC艇員の一部の者は、ご遺体の収容作業等に従事していましたが、メンタルダウンした隊員もありませんでした。

――多くの被災者に接していかがでしたか。

佐々木 入浴支援は、救援物資の輸送が概ね終了した頃、即ち地震発生から約2週間程度を経過した時点から開始しました。寒空の中を過ごしていた被災者の方々の入浴後の顔は、入浴前とは全く異なる顔でありました。入浴を終え退艦していく被災者の皆さんの「満面の笑顔」と「生き返った。有難う。」という感謝の言葉は今でも鮮明に記憶されており、忘れることはできません。


おおすみ車両甲板での入浴(3月30日、松島湾浦戸4島地区)

――教訓的事項、今後への反映事項について。

佐々木 平成7年に生起した阪神・淡路大震災から約17年が経過しました。昨今の神戸市の自衛隊に対する対応(自衛艦の入港を含め)は徐々に悪くなってきていると聞いております。特に「喉元過ぎれば熱さを忘れる。」の諺にあるように海上自衛隊を含む自衛隊との協同訓練の必要性もあまり認識されていないように感じます。今後とも継続的な地方自治体等との防災訓練を計画する必要があると思います。
 また、災害派遣を実施するに際し、よく聞く言葉に「昨日の感謝は、今日の当然、明日の不満」というのがあります。被災直後は食べ物・飲料水、少し日時は経過すると暖かい食事と寝床、その後はお風呂と個人スペース等、時間の経過に伴い、要望事項も刻々と変化していきます。これを踏まえた救援物資の準備・救助態勢を確立すべきと思います。
 因みに、PP10に参加した時、米海軍指揮官からPP10のモットーを聞くことができました。それは「Prepare in calm to respond in crisis (平穏な時に危機に備え準備する」というものでした。非常に重要なキーワードだと思います。

――本日は長時間有難うございました。生々しい現場の状況が良く分かりました。今回の活動を最後に無事退官されたわけですが、最後に一言お願いします。

佐々木 4月13日第1輸送隊司令の職を後任の山田勝規1佐に引き継ぎ、私の任務、併せて海上自衛隊における海上勤務も終わりを迎えました。
 多くの部下に支えられて円滑な救援活動を行うことができたものと考えています。今後も第1輸送隊は“Full Speed Ahead”をモットーに、部隊新編以来の経験と蓄積されたノウハウを活かし、与えられた任務に全能発揮で突き進む部隊であり続けることを願っています。(了)