自衛官に聞く – 補給支援特措法に基づく最初の支援活動

今回は、平成20年1月11日に成立した「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法」(以下、補給支援特措法と言います。)に基づく最初の支援活動を実施した部隊を指揮された第1護衛隊司令(当時:現防衛省海上幕僚監部指揮通信課長)佐伯精司1等海佐にお話を伺いました。

佐伯 精司1等海佐

昭和59年:東京大学法学部卒業 海上自衛隊入隊
平成13年:護衛艦「さわぎり」艦長
平成14年:防衛庁海上幕僚監部補任課
平成19年:第1護衛隊司令
平成20年:現職

―お忙しい中、お時間をいただき有難うございます。
早速ですが、いわゆるテロ対策特措法が平成19年11月に失効し、様々な経緯を経て成立した補給支援特措法に基づく第1回目の派遣部隊を指揮して行かれたわけですが、派遣が決まったとき、ご自身はどのようなお気持ちでしたか。

 平成13年11月から平成14年4月の間、護衛艦艦長として、旧テロ対策特別措置法に基づく協力支援活動に従事した経験があったこと、また、同法が失効しなければ、平成19年11月から派遣予定であったことから、活動に従事することについて、特段の想いはありませんでした。

―ご家族の反応は。

 仕事柄、家を留守にするのが常ですし、前回派遣の経験もありましたので、特段の想いはなかったものと思います。
ただ、旧テロ対策特別措置法の失効、新たな補給支援特別措置法案の審議・成立に至る過程で、行くのか行かないのかわからないといった不安はあったと思います。

―派遣決定を部下の方々に伝えた時、皆さんの反応はどうだったですか。

 部隊としては、もともとの派遣予定が少し遅れただけ・・・といった感覚ではなかったかなと思います。

―指揮官としてもっとも重視されたことは何ですか。

 旧テロ対策特別措置法の下で6年近く燃料補給等の活動が続いたわけですが、この間、対イラク戦争への転用疑惑、燃料補給量のデータミス等、国内論議を呼ぶことになりました。
これを踏まえ、派遣部隊しても外国艦艇の活動状況を調査し、燃料等を補給する対象艦船として問題のないことを確認します。また、補給した燃料や真水の量を直ちに本国へ報告し、しかるべき筋に正確に届けられることを確認するよう手続きを改善しました。

第2は、活動中断による影響・不具合への対応でした。
特に、現地での諸外国海軍との連携、また、沿岸国との関係、出入港手続きや燃料・真水・食料との調達は、意思疎通の問題や現地商慣習等々の問題もあり、3ヶ月半のブランクが少なからず影響と予想していました。

実際、現地到着後さまざまな問題に悩まされましたが、関係国に派遣された連絡官の献身的努力、部隊乗員の理解と配慮によって、何とか克服することができました。また、後続部隊に問題を残さぬよう措置することができたと思っています。

第3は、諸外国からの信頼を回復することです。
短期間とはいえ、一旦活動から撤退したわけであり、諸外国が実施する海上阻止活動にいくつかの影響を与えたものと思います。我が国の活動への復帰をアピールするとともに、要望には最大限対応するようにしました。
これは、先の2つと違って短期間で解決できるものではなく、長期的な取り組みを要する点でもっとも大きな課題でした。

―テロ対策特措法が失効し、しばらく空白の期間がありましたが、派遣決定はいつ頃から知らされたのですか。

 平成20年1月11日(金)、新法案(補給支援特別措置法)が成立し、同日、上級部隊から、派遣準備に関する命令を受領しました。

―法案成立まで期間、どのようなお気持ちだったのですか。隊員の方々の間に動揺などはなかったですか。

 部隊としては、もともとの派遣予定が少し遅れただけ・・・といった感覚ですから、特段の想いはありません。
ただ、6年近く続いた活動について、憲法違反との議論が国会であったわけですから、乗員には複雑な思いもあったろうと思います。
高校卒業後間もない新入隊員を含め、テレビの国会中継を食い入るように見ていた乗員達の姿が忘れられません。

出港行事で挨拶される第1護衛隊司令(当時)佐伯1佐(海上自衛隊提供)

―準備作業に支障はなかったですか。準備に当たって、特に留意されたことは何ですか。

 法案成立・派遣準備着手から出港まで2週間の時間的余裕がありましたので、準備作業には支障はありませんでした

―先にも触れましたが、テロ対策特措法の失効によってインド洋のおける日本の活動に空白が生じたわけですが、現地に進出され、各国海軍と接触したときの各国の感触はどのようなものだったですか。

 諸外国からは一様に歓迎・歓待の声をいただきました。
新法成立により活動の趣旨・内容が変わったのに伴い、諸外国への燃料等の補給は、新たに交換文書を取り交わして行うことになりました。
私の部隊の場合、現地到着後、活動再開のための諸準備に若干の日数を費やしましたので、実際の現地での活動期間は2か半ほどでしたが、この短期間に、7か国の海軍艦艇への補給作業を再開しました。
各国の期待の高さを示すものと思います。

砂塵のため視界不良の海域で補給活動を実施する補給艦
(後方に佐伯1佐座乗の護衛艦がうっすらと見える)(海上自衛隊提供)

―前質問に関連し、特に印象に残っておられることは何ですか。

 平成20年2月21日に活動を再開し、3月上旬のことですが、ドイツの「エムデン」という艦に燃料を補給する予定になっていました。
ところが前日になってその艦から、明日予定の燃料補給場所へ行けないとの連絡が入りました。
密輸船らしい船を追いかけろとの命令が出たので、明日の燃料の受け取りは無理、その後の予定もわからないとのことでありました。

元々燃料が少なくなったから洋上補給の調整があったわけで、燃料はどんどん減っていくのです。
まして、密輸船らしい船を追跡するために高速を使うわけですから、保有している燃料はどんどん減っていく筈です。
そこで、私は、補給艦を連れてその「エムデン」を追いかけることにしました。
少しでも早く油をやってあげようということです。こちらとしては、高い燃料を提供する上に、高い油を使って追っかけて走るわけですから、油の消費という意味では勿体ないということになるのでしょう。
ただ、相手が困っているときには手をさしのべるのが当然ということで追っかけたわけでありまして、翌日無事にその「エムデン」に給油することができました。

同年4月、日本郵船所有・日本船籍のタンカー「高山」が、アデン湾において海賊からロケット弾による攻撃を受けました。 幸い死傷者は出ませんでしたが、船体に損傷を受けました。
この時に、現場に駆けつけてくれたのが、このドイツの「エムデン」でありました。「エムデン」はヘリを飛ばし現場に急行し、海賊を追い払ってくれました。

前年10月には、日本の海運会社が所有しているパナマ船籍のタンカー「ゴールデン・ノリ号」がソマリア沖でシージャックされました。この時に救援してくれたのも、海上阻止活動に参加し、日本の補給艦から燃料補給を受けたことのある米軍艦船でした。
補給支援活動は、結果として、我が国の生存と繁栄にとって重要な輸送路であるインド洋の海上交通の安全に寄与しているものであり、「情けは人のためならず」と同時に「我々もまた感謝すべき」ということを実感しました。

「エムデン」とのエピソードを語る佐伯1佐

―現地での活動が開始された後、指揮官として留意されたことは何ですか。

 平成13年、最初に派遣された当時は、アフガニスタンのアルカイーダに対する空爆等のため、多数の諸外国艦艇が活動しており、燃料需要も極めて高いものでありました。

日本の部隊は、外国艦艇への燃料補給後に、直ちに沿岸国港湾に帰って燃料を調達し、直ちに現場海域に復帰するというピストン状態の活動を続けており、不眠不休のこともたびたびありました。
当時は、高い緊張感の一方、事故に結びつくおそれのある疲労感や不注意に留意しておりました。

一方、私が派遣された頃の燃料需要は、当初に比べれば高くなく、こちらとしても緊張感を維持することに意を払いました。
それは、部隊が長期にわたって安全に活動を継続する上での基本でありまた、補給艦と護衛艦との連携・協力の基盤、燃料補給の際に接する諸外国艦艇に見て取られる当方の姿勢、すなわち信頼感の基盤だからです。

―部下の中には何度目かのインド洋派遣の方もおられたと思いますが、そのような方に、指揮官として配慮されたことは何ですか。

 半数近くの隊員が、インド洋方面派遣の経験者でした。
派遣回数が最も多かったのは5回目という隊員でしたが、驚いたことに、当該隊員は、私が平成13年に艦長として活動に従事した際のその護衛艦の隊員でした。

米海軍等と違って、小所帯の海上自衛隊では、長期の海外展開を終えて帰国しても、十分な休養の機会を与えることができません。
帰国後1か月足らずの停泊期間を終えると、再び別の活動や教育訓練のために、出港することになります。
このようなサイクルを繰り返していると、いかに気力体力おう盛でも次第に疲れが溜まってきますし、家族や地域社会との触れ合いにも影響してきます。
そういった状況を踏まえて、隊員の精神状態や、帰国後の休暇や業務予定に気を配るのが指揮官の役目であろうと思っています。

―前質問に関連し、初めての派遣勤務の方もおられたと思いますが、そのような方にはどのような配慮をされたのですか。

 海上自衛隊の艦艇乗組員の多くが長期の海外派遣を経験するようになった現状では、当然、未経験の隊員の比率は下がります。これら未経験者の耳にも多くの情報が自然に入るわけですから、特段の不安はないわけです。
ただ、それら多くは、ある意味、雑多入り乱れた情報を整理し、方向付ける義務は、指揮官にあると思います。
私共は、長期海外展開を何度も経験していますので、そのようなところは心得ております。

―2隻の護衛艦を指揮して行かれたわけですが、常に同じ護衛艦に乗っておられたのですか。もし、そうではないとすれば、どのくらいの間隔で2隻の艦を移動しておられたのですか。

 護衛艦1隻と補給艦1隻で行きました。
警戒監視や指揮通信能力等の視点から、司令部を護衛艦に置き、ほとんどの期間を護衛艦で過ごしましたが、たびたび補給艦に移り、短期間ながらも生活を共にしました。

―洋上で艦を移動するというのはどのようにされるのですか。

 護衛艦と補給艦の間の移動は、燃料や食料の調達のため沿岸国港湾に入港した際に行ったほか、洋上では、搭載ヘリコプターあるいは搭載艇(小型ボート)で移乗しました。

―今回の派遣勤務を経験され、ご自身の中で変わられたことはありますか。あるとすればどのようなことですか。

 特にありません。個人的には、自ら携わった防衛政策、防衛計画の実施の現場に、自ら携わることを幸いとしております。

―今回の派遣を通じ、部下の方あるいは部隊として変わったなと感じられることはありますか。あるとすればどのような点ですか。

 日本の国益を守ることや、国際社会における日本の立場を理解するとともに、いわゆるリアル・ワールドの中での部隊運用の在り方、平素の教育訓練の反映・成果等々、海外展開を通じて学ぶところは多々あったことと思います。
長期滞洋で鍛えられた心、炎天下で鍛え上げた体とともに、隊員の将来に必ず資するものと思います。

―補給支援特措法に基づくインド洋での活動は来年1月をもって終了することになりますが、実際に支援の任務を果たされて、我が国の安全保障あるいは国際社会の平和と安定に貢献したと感じておられますか。

 平成13年に派遣された当時も同じ質問を受け、海自の活動が、東京でのアフガン復興会議開催につながったのであれば幸いと答えたと記憶しています。
現在、テロ対策として行う燃料等補給支援の規模こそ縮小していますが、一方で、ソマリア・アデン方面においては、海賊対処のための活動を継続しています。
これらは、いずれも、我が国の国益のため、また、国際社会の平和と安定のため、諸外国との連携・協力しつつ、長期にわたって継続せざるを得ないものと考えています。
国際社会での日本の発言力・影響力、我が国が資源の多くを依存している中東地域の安定、そして、これらが結果として日本の国益と国際社会の平和と安定につながるのであれば、現場の汗が実るものと考えております。

―前質問に関連し、どのような時にそう感じられましたか。

 海上自衛隊としては、誠実に任務を果たすのみです。約束を違えず、指定日時に指定場所で燃料等を渡す。
外国艦船が不審船を追跡する等で来られない場合は、こちらが足を伸ばす。
そうして補給艦から燃料や真水を貰えば、誰でも「ありがとう」と言ってくれると思います。
このような現場のやりとり、現場の感謝の言葉を、国としてのメッセージに変えるのは政治力・外交力だろうと思います。
そこは、私共の与り得ない部分ですが、いずれにせよ、国のためになったと思う時に充実感を覚えます。

―今回の派遣を通じ、国民の皆様に伝えたいことは何ですか。

 3か月半の中断を含み8年以上にわたって活動を継続できたのは、国民各位の御理解御支援の賜物と感謝しております。
補給支援特別措置法の失効に伴い、現地における活動を終結し撤収することになりますが、海上自衛隊としては、あらゆる事態事案に即応できるよう態勢を維持しており、将来何らかの事態等が生じて再び海外展開を命じられることになれば、適正に対応して参ります。
また、ソマリア・アデン方面における艦艇・航空機による海賊対処活動は、法令に従い適切に継続実施していきますので、引き続き御理解御支援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

―本日はどうも有難うございました。