新国軍における統帥に関する一考察(1)

M. G 生

まえがき
1 日本とはどんな国なのか
(1)日本の国柄と国体
(2)なぜ天皇が我が国の元首でなければならないのか
(3)主要国が統帥権を国家元首に委ねている理由
2 統帥権とは
(1)統帥権と最高指揮権
(2)国家元首と統帥権
(3)主要国が統帥権を国家元首に委ねている理由
3 まとめ
あとがき



まえがき

 安倍政権は現憲法の制約の中、公明党という憲法に関して本質的に主張が全く異なる政党との針の穴に糸を通すような妥協に妥協を重ね、集団的自衛権の限定行使をはじめとする安全保障法制の成立にこぎつけようとしている。さらに中国の驚異的な軍事力の増強、これをバックにした尖閣諸島海域及び南シナ海での傍若無人な行動に見られる中国の覇権主義を抑止するため憲法改正に踏み込もうとしている。
 しかしながら戦後の左翼思想の影響は依然として厳然として存在し、相変わらず中国に幻想を抱き、平和ぼけした議論が日本列島を覆っている。我が国周辺の安全保障環境を冷静に観察すれば、明治維新前夜にも匹敵する極めて厳しい状況にある。即ち、中国、ロシア、北朝鮮はいずれも核兵器を保有している。中国の国防予算は5年連続の2桁増で、核戦力の強化、空母の建造、潜水艦の増勢、次世代航空機の配備、サイバー戦能力の強化等急激に軍事力を強化している。このままいけば、中国建国100年の2049年以前に政治、経済、軍事で米国を追い抜き世界の第一線に立つと思われる。他方米国はここ数年国防費を削減してきた。その影響で、2015年約4ケ月ほど日本近海から完全に米空母部隊がいなくなるとの報道もある。2016年度国防予算は増額されるようであるが、今後大幅な国防費の増額はあり得ず、いずれ中国人民解放軍に追い抜かれるであろう。当然のことながら、我が国としては今迄のように米国に依存し、付き合い程度に防衛力を整備し、安閑としておられるような状況にはなくなってきている。
 そこで防衛体制・態勢を強化し、米国のみならず豪州、インド等と連携し中国の覇権野望を抑止することが肝要である。このためにも自衛隊を増強することが考えられるが、自衛隊は基本的に発足時の警察予備隊が持っていた制約から未だ解放されていない。軍の作戦運用の基本は国際法及び慣例上から何をしてはいけないかを明示し、それ以外は何をしても可とするネガテイブリストで示されるが、警察は法律の裏付けに基づき何ができるかのポジテイブリスト以外のことは何もしてはならないことになっている。即ち自衛隊と一般概念の軍とは全く異質のものであり、警察組織の亜流である自衛隊が、中国人民解放軍等の強力な軍事組織に対抗するのは、極めて困難である。その意味で安倍政権が目指す憲法改正を早期に実現し、自衛隊を国軍(国防軍)として、明確に位置付けなければならない。
 ここ数年来、自民党や産経新聞等が自衛隊を軍として、位置付ける憲法改正案を世に出しており、一歩前進である。しかし軍の基本となる統帥権(最高指揮権)についての検討が不十分である。即ちいずれの草案も天皇を元首として位置付けるとしている。即ち立憲君主国として我が国の国のありようを規定している。立憲君主国の軍の最高指揮官(形式的)は元首であるのが通例であるが、どの草案も国軍を天皇から完全に隔絶して、内閣総理大臣を国軍の最高指揮官としている。精強な国軍を育成するためには、物理的な攻撃能力、防御能力をもつことは自明の理である。他方国家防衛という崇高な任務達成のためには、己の生命をささげても悔いなしとする精神的にも強靭な国軍でなければならない。
 本論においては、改正した新憲法下天皇を形式的最高指揮官とし、実質的には内閣総理大臣が指揮権を行使する「新国軍における統帥」について考察するものであり、現憲法下における自衛隊の現状とは関係ないことを最初にお断りしておく。



1 日本とはどんな国なのか

 統帥権のあり方の本論に入る前に、日本はどのような国なのか則ち我が国体、国柄、及び天皇について述べることとする。

(1)日本の国柄と国体

ア 日本の国柄とは
 国体に近い言葉に国柄がある。大辞林第3版によれば、国柄とは①その国やその地方の風俗、習慣、文化などの特色②その国の成り立ち③その国が本来備えている性格、性質とある。我が日本国の国柄とはどのように表現すればいいのかこれを考察するため、現在までに考察された憲法改正案の前文の枢要と思われる部分を取り出してみる。

読売案
日本国民は民族の長い歴史と伝統を受け継ぎ、美しい国土や文化的遺産を守り、これらを未来に活かして、文化及び学術の向上を図り、想像力豊かな国つくりに取り組む。

創憲会議案
日本国民は悠久の歴史を通じて、豊かな伝統と独自の文化を作り上げてきた。われらはこれを継承発展させ、自立と共生の精神に基づく友愛の気風に満ちた国づくりを進める。

自民党案
日本国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、・・・日本国民はよき伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここにこの憲法を制定する。

産経案
日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとして、専断を排して衆議を重んじ、尊厳ある近代国家を形成した。・・・・

 このように読売案や創憲案が天皇を中心とした国柄については特に触れていないが、自民党案及び産経案では天皇を中心とした我が国の国柄の特徴について強調している。
 産経新聞案はこれを受けて、其の第1章第1条を(国柄)とし、「日本国は、天皇を国の永続性及び国民統合の象徴とする立憲君主国である」としている。
 憲法に「国柄」を書くのかについての理由として、「人に人柄があるように、国にも国柄がある。国柄とはその国を特徴付ける成り立ちや不易な価値や伝統を指す。憲法に国柄を盛り込むことは、国の骨格を規定する意味を持つ。ところが現行憲法にはどこにもそうした国柄の記述がない。重大な欠陥だ。現行憲法は様々な価値観をもたらしたが、今日問題となっている国家間の喪失は現行憲法と無縁ではない。私たちはここを正すには国柄を明記することが不可欠だと考えた」としている。
 さらに日本の国柄として、「我が国は歴史的に天皇を戴く国柄だった。貴族や武士による統治など政治形態はさまざまに変わったが、天皇が権威として君臨することだけは、変わらなかった。欧州の王室や中国の皇室とは決定的に異なる点がある。それは天皇が有史以来、民とともにあって、我が国と民の安寧や繁栄を脈々と祈り続ける、世界に類のない「御存在」で敬慕の対象でもあったことだ。時は流れ、人が変わり、政治情勢が変わっても日本が日本である限り、こうした国柄はいつまでも変わってはならないと信じる。私たちの責任は、先人から受け継いだ歴史ある国柄を未来に引き継いでいくことである」としている。
 即ち、産経の主旨は英国に代表される欧州の立憲君主は王が国民を強大な権限で服従させ、搾取して君臨し、これに対し国民はこの王の権限を少しでも制限しようとして、両者が骨肉の争いをして、国民がその権限権利を勝ち取ってきた歴史がある。これに対して我が天皇はまず民の心、即ち国民の喜びや悲しみ、願い、あるいは神々の心を知り、それをそのまま鏡に映すようにわが心に写しとって、それと自己を同一化させ、みずからを無にして治めようとされている。天皇が国民を支配することではない。支配は大和ことばでは「うしはく」で英語では「Control」に相当し、治めるは「しらす」で「Govern」といわれる。この違いをControlとGovernの違いで正しく表現しているか確信が持てないが、ヨーロッパの立憲君主制は「うしはく」であり、我が国の天皇は「しらす」であり、両者は全く異なる立憲君主制ということであろう。
(続く)