新国軍における統帥に関する一考察(4)

M. G 生
まえがき
本論は、改正した新憲法下天皇を形式的最高指揮官とし、実質的には内閣総理大臣が指揮権を行使する「新国軍における統帥」について考察したものであり、現憲法下における自衛隊の現状とは関係ない。

1 日本とはどんな国なのか
(1)日本の国柄と国体
(2)なぜ天皇が我が国の元首でなければならないのか
(3)主要国が統帥権を国家元首に委ねている理由
2 統帥権とは
(1)統帥権と最高指揮権
(2)国家元首と統帥権
(3)主要国が統帥権を国家元首に委ねている理由
3 まとめ
あとがき



(2)なぜ天皇が我が国の元首でなければならないのか
ア 国家元首とは
 元首とは、国際法上、国家の長として、国家を対外的に代表する機関を指す。国家元首の概念は国家有機体説に発し、独立の生命体として国家をとらえた場合、人体のうちの頭(Head of state)と呼ばれる。
 君主制の国家では、皇帝、国王などの君主、共和制の国家では大統領が元首とされることが通例である。社会主義国では、中華人民共和国の国家主席やかつてのソ連の最高会議幹部会議長なども国家元首に該当する。
 日本の天皇は大日本帝国憲法下において明確に国家元首であったが、現行憲法では象徴とのみ定められており、必ずしも元首としての位置付けが明確でない。

イ 各国の国家元首は
 国家元首に関する規定が明確でない国も少なくない。そうした国での国家元首は慣習上のものである。元首の持つ機能、権限、権威はそれぞれの国により、異なるものがあるが、元首が存在しない(明確でない)主要国家は存在しない。各国の元首について代表的なものをあげれば次のようになる。
 ① 絶対性君主制国家・専制君主制国家
  皇帝や国王のような君主が元首であり、強大な政治的権限を有している。アラビヤ半島の諸国のヨルダンは絶対君主制の典型である。君主の下に行政の実務を担当する首相が置かれる場合もあるが、君主が首相を兼任したり、君主一族が首相となっている場合が通例である。
 ② 立憲君主制国家の元首
 * 君主の政治的権限が強い立憲君主国
   議員内閣制を採用する立憲君主国であり、行政を担当する首相が存在するが、国家元首である君主が国政の実権を
  握っている。
 * 君主が儀礼上の存在となっている立憲君主制国家の元首
   議員内閣制を採用する立憲君主国の君主がこれにあたる。行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である君主は
  国政の実権を有しない。イギリス、オランダ、ノルエー、デンマーク、カンボジヤ、タイなどの国王がこれに分類される。日本
  の天皇も一般的にはこれに分類されることが多い。
   なお、イギリス連邦(コモンウエルス)所属の国などの中には、イギリス国王を自国の国家元首として戴き、国王から任命
  された総督が元首権を代行するところがある。これは英連邦王国と称される。代表的な国として、オーストラリア、カナダ、
  ジャマイカ、ニュージランド、パプアニューギニア、バハマ、ソロモン諸島等がある。
   このタイプの国家の君主は儀礼的役割のみを果たすことが通例であるけれども、政争やクーデターによる国政の混乱期には、
  仲裁者としての役割を期待され、権限を行使する場合もある。

 英国の場合、「マグナカルタ大憲章」は、現代の法体系の中でも脈々として生きている。国王もコモンローの下にあり、古来からの慣習を尊重する義務があり、権限を制限されることが文書で確認されている。国王の実体的権力を民衆との契約、法で縛り、権力の行使には適切な手続きが必要とする点は現代に続く「法の支配」を基調とする保守主義、自由主義の原型となったものである。政府の行政権のいくつかは、名目的に国王に属し、国王大権と呼ばれる。国王は慣習と先例に従って振舞い、大権を行使するのは議会に責任を持つ大臣の助言によってのみ行使される。大権を掌握しているのは、首相であり、国王ではない。国王が首相を謁見する場合、国王は自分の意見を述べてもいいが、立憲君主として究極的には(下院の支持を受けている)首相と内閣の決定に従わなければならない。「立憲君主制」のもとで国王が手にしている3つの権利は「相談を受ける権利」「何かを奨励する権利」「警告する権利」である。大臣の助言の下で、実施される国王大権には、大臣の任免、罷免、官吏の指揮監督、宣戦布告と講和、軍の作戦指揮、条約・同盟・国際協定の締結と批准などの権利が含まれる。国王は軍の最高指揮官であり、イギリスの高等弁務官と使節を派遣し、国外からの外交官を受け入れる。軍の最高指揮官とは、軍の象徴的最高統帥権者として君臨することであり、軍事作戦に直接かかわることはない。したがって、即位の式典や記念行事に階級章を付して軍服を着用するが、軍人として服務することはない。但し国王に即位する前の皇太子等の時期には軍人として軍務に服し、実戦の指揮を執ることはある。これは軍務が国家国民にとって最も崇高な位置付けであるという英国の伝統を継承するものである。
 大日本帝国憲法の下での天皇は(2)-1の立憲君主国家であるが、君主が政治的に絶対的権力を持っているヨルダンのような存在であったと誤解しているものが多い。実体は国体のところで述べたように天皇の政治的権限は極めて限定されていたものであり、儀礼上の存在である英国と類似の存在であった。即ち大日本帝国憲法下の日本において天皇が国家元首であったことは間違いのない事実である。統治権についても「天皇は国の元首にして、統治権を総覧し、この憲法の規定によりこれを行う」と規定された。また無答責(神聖であって、侵してはならない)や、天皇大権の行使、軍隊の統帥権(天皇は陸海軍を統帥す)を保持する唯一の者であることも規定されており、少なくとも形式的には大きな力を持っていた。
 しかし、帝国憲法制定以前の明治19年に天皇と内閣総理大臣との協定(機務六条)により、天皇親政は事実上停止されており、また帝国憲法上においては、立法権については帝国議会の協賛(賛成)を要し、勅令には国務大臣の副署を必要とし、司法権は裁判所が行使することとなっているなどの制約があることは確かで、また天皇の権限に属することは枢密院に諮問し審議させることになっていたため、天皇が直接決断・命令して政治を行うことは2・26事件のように政府が機能不全に陥った時以外はほとんどなかった。このことは、帝国憲法において、軍を含めた政府の決定を天皇が覆すことは許されない。もし天皇が政府決定に拒否の意思を表明すれば、最早立憲君主ではなく、独裁者であり、憲法違反である。日本古来の言い方をすれば、「主上御謀反」である。この表現は承久の乱の後鳥羽上皇や後醍醐天皇に対して使われた。昭和天皇は皇室の伝統重視と帝国憲法の遵守を旨とされていたから、このような謀反をされることには極めて慎重であった。2・26事件の際は、総理大臣が暗殺されたという状況(実際には人違いであったが)下で、政府の輔弼機能がまともに機能せず、陸軍自体の方針も決まらない状況下、放置すれば、内乱状態になりかねない事態のもとで、反乱軍の討伐命令を出されたことは、やむをえなかったし、適切な判断・処置であった。また軍の統帥についても天皇が絶対的権力を持っていたような誤解があるが、軍令に関しては陸軍参謀総長、海軍軍令部総長が帷幄上奏し天皇の裁可を得て、かたちは天皇の命令であるが、実体は軍令の最高指導者が計画立案し、実施し、天皇はこれを聞き措くこととなっていた。
 この例として大海令、大陸令がある。大海令とは軍令部総長が海軍の指揮官に対し、大命(国軍の最高指揮官である大元帥(天皇)からの命令)を奉勅(伝達の実施)する時に発したものである。この大海令の発令は軍令部総長が大海令を起案し、その決裁を天皇に仰ぎ裁可を得たのち、軍令部総長が各指揮官に伝達するという形式をとっていたが、あくまでも天皇は裁可されるのみであった。
 即ち、

大海令第一号
昭和十六年十一月五日
奉勅    軍令部総長 永野修身   注:奉勅とはみことのりを伝達するという意味
山本聯合艦隊司令長官に命令
一 帝国は自存自衛の為十二月上旬米国、英国及び蘭国に対し開戦を予期し諸般の作戦準備を開戦するに決す
二、聯合艦隊は大海令大一号に基づき作戦準備を実施す
三 支那方面艦隊司令長官は支那に対する作戦を続行する傍所要の作戦準備を実施すべし
四 細項に関しては軍令部総長をしてこれを指示せしむ

 この指示は「大海指」とされ、軍令部総長から指示されるものであった。

大海指第一号    昭和十六年十一月五日
          軍令部総長   永野修身
大海令第一号に基づき山本聯合艦隊司令長官に指示
一 聯合艦隊司令長官は12月上旬米国、英国及び蘭国に対し開戦するを目途とし、適時所要の部隊を作戦開始前の待機地点に進出すべし。
二 以下略

 以上を要約すれば、大日本帝国憲法の下での日本国の統治権は本来の持ち主である天皇にあるが、普段はこれを行使しないとこととされていた。開戦の詔勅に関しては、天皇は「四方の海、みなはらからと思う世に、など波風の立ち騒ぐらん」と明治大帝の和歌を二度も詠じられ、対米開戦不可の意向を示されたが、憲法を遵守され、御聖断はされなかった。終戦の詔勅に関しては、御前会議でポツダム宣言受託か否か意見が3対3に分かれた。この場合総理大臣である鈴木貫太郎がどちらかに決すれば、結論は出、天皇もそれを了とされたであろう。しかし鈴木総理は、「陛下ご覧のとおりでございます。我々では結論が出ません。あまりに重大な決断でございますから、陛下にお決めいただきたく存じます」と申し出た。会議を黙って聞かれていた昭和天皇は受諾論の外務大臣の意見を至当とすると決断された。このことは、鈴木総理が、政府としての機能を放棄し、大日本帝国で定められている輔弼機能を果たせなくなり、天皇に大政奉還を申し出たことを意味し、日本国の本来の統治者である天皇が大権を発動され、日本を救われたのである。
 このように敗戦直前のような政府が決定できないような混乱状況で、どうしようもない本当にいざという場合には天皇は大権を行使するという大政奉還の状況に戻すという法体系である。英国の場合は、近世において、このような、国王の大権発動により、政治が動いた例は見当たらないが、政治が機能しない非常の場合国王が大権を発動することはあり得る。最近のスコットランド独立を問う住民投票前の異例の御発言があったが、これなどは大権行使の一例ともいえる。このように大日本帝国憲法では天皇は英国の国王と同じくその政治的権力は憲法により、厳しく制限され、実体は英国さらには日本国憲法における現在の天皇と同様、君主が儀礼上の存在となっている立憲君主制の元首として位置付けられていた。このような法体系のもと大日本帝国憲法では天皇を元首と規定していたが、現憲法では国家元首の規定がない。内閣法制局は「日本国憲法においては天皇を元首であるといっても差し支えない」「天皇は限定された意味で、国家元首である」とする一方、最終的には定義によるとしている。これに対して「天皇でなく内閣が元首である」「日本には元首は存在しない」とする学説があり、元首の存在は曖昧模糊としている。しかるがゆえに、外国元首訪日の折の自衛隊儀仗隊観閲の際、天皇は国家元首として明確にされていないため、外国元首のみが観閲し、天皇は脇でこれを見守るという恥ずべき現象が繰り返えされている。

ウ 天皇以外に日本の元首と位置付けられる者はいない
 あの世界を相手に自存自衛の為に戦った大東亜戦争で、日本は国家として壊滅的な打撃を受けて敗戦し、まさに亡国の淵に立たされた。焦土と化した国土、失われた多くの人命、日本の立ち直りは困難かと思われたが、そこから不死鳥のようによみがえり、世界第二位の経済大国(最近中国に追い抜かれたが)にまで復興し、世界の奇蹟と呼ばれた。これは敗戦時の賢人が連綿と続いてきた天皇を中心とした国体を必死に守り、その結果日本人に精神的支柱である天皇と皇室が厳然と存在し続けた事、それを心の支えとして、国民が心を一つにして、寸暇を惜しみ、身を削るように働いてきたことにもよる。世界のいかなる王室も我が皇室ほどの歴史と伝統を持つものは存在しない。幽玄の彼方にある我が日本国のこと始めの時代から、我が国の歴史を貫いて万世一系を維持し存在し続けてきたという無形の価値は何事にも代えられない万金の価値を有する。そして、その歴史とともに成長してきた日本国民は皇室に無上の精神的尊敬と価値を見出してきた。
今迄述べて来たように、皇室は最初の段階で権力として始まったが、歴史の流れの中で、この権力を手放し、権威のみの存在として国民の精神的支柱となった。いろいろな思想が海外から入ってきたが、どの思想に対しても、日本人の精神の基本にある自然発生的な思想、即ち「人と自然の共生、先祖と魂を崇拝する思想(一般的にはこれを神道と習する)が一貫として変わらなかったことである。そして自然発生的思想の頂点に位置する「祈る存在」としての皇室もまた変わらなかった。皇室は世俗の物質的な価値や仏教、儒教その他の精神的価値観を超えて、自然発生的な日本精神の基本として、日本を日本たらしめ、日本人を日本人たらしめてきた。いかなる有能な宰相、学者といえども、日本を統べる上において、天皇及び皇室を超える権威を保有することは不可能である。したがって、日本の元首は天皇以外にはあり得ない。明治憲法の精神である、「支配すれども統治せず」の立憲政治を基調として憲法を改正するか新たに自主憲法を制定し、このことを明確にすべきである。
 しかしながら、天皇に対する戦後の教育はこれを否定することに主眼を置く日教組や革新勢力に押し切られてきた。天皇及び皇室に対して、無関心な若者が増え、尊敬の念を抱くものは少なくなりつつあるのが懸念される。すみやかに国民教育の中に我が国の国柄・国体と皇室の関係を取り入れ、国民精神の覚醒を図る必要がある。同時に皇室の在り方、皇室関係者への教育についてもどのような人物が、どのような帝王学教育を行うのか、極めて高いレベルの検討と果敢な実施が喫緊に望まれる。
(続く)