新国軍における統帥に関する一考察(6)

M. G 生
まえがき
本論は、改正した新憲法下天皇を形式的最高指揮官とし、実質的には内閣総理大臣が指揮権を行使する「新国軍における統帥」について考察したものであり、現憲法下における自衛隊の現状とは関係ない。

1 日本とはどんな国なのか
(1)日本の国柄と国体
(2)なぜ天皇が我が国の元首でなければならないのか
(3)主要国が統帥権を国家元首に委ねている理由
2 統帥権とは
(1)統帥権と最高指揮権
(2)国家元首と統帥権
(3)主要国が統帥権を国家元首に委ねている理由
3 まとめ
あとがき



(3)主要国が統帥権を国家元首に委ねている理由
 国軍は一般的に国家、国民を守るのが任務である。
 国軍には、国の存立と国民の生命、財産を護り、家族、恋人、友人を守るため、任務遂行のために自己の生命をささげても悔いはないとする精神的なよりどころが必要である。
 元首とは象徴則ち国家及び国民全体を具現化したものである。米国のような大統領制、その他の共和国では、大統領が国家の象徴と考えられるが、心底象徴となり得るかについては、いろいろの感情もあり、議論のあるところである。例えば、米国の場合、約半数の支援により現大統領オバマは選出されたが、共和党支持の国民党は虎視眈々と彼を引きずり下ろそうと躍起となっている。米国全般の象徴とはなりえない。しかし大統領に代わって、国の象徴になるものはない。もっとも国民の精神的まとまりとなるのは、元首であり、英国をはじめ、ベルギー、オランダ、スペイン等のヨーロッパの立憲君主国は国王が国家元首であり、其の国王に軍の統帥権を委ねている。歴史と伝統を持つ国が永遠に栄えるため、捨て石になっても悔いはないとする軍人の誇りの受け皿になり得るのは元首以外にないと考えられる。

(4)何故天皇が統帥権(軍最高指揮権)を持たねばならないか
 天皇の権限及び最高指揮権についての主要な憲法草案は次のように記述している。
① 自民党草案
第1条 天皇は日本国の元首であり、日本国および日本国統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
第5条 天皇はこの憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない。
(4) 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。但し衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。
第9条の2
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全保障を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

② 産経要綱
第1条 日本国は天皇を国の永続性及び国民統合の象徴とする立憲君主国である。
第2条 天皇は日本国の元首であり、国を代表する。
第4条 天皇はこの憲法の定める国事行為及び公的行事を行う。
2 天皇のすべての国事行為及び公的行為は内閣がこれを補佐し、その責任を負う。
第3章
第16条 国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する。
2 軍の最高指揮官は内閣総理大臣が行使する。軍に対する政治の優位は確保されなければならない。

 このようにどの改正草案も天皇の軍に対する関与は全く認めていない。果たしてこれで精強な国軍を育成し、一旦緩急の際に我が国及び我が国民を守り、永遠の安寧を確保できるであろうか。
 国家の自衛とは、それが個別であれ、集団であれ、一旦戦争となれば、実際に血を流して戦うのは、国民すべてであるが、就中その中心となるのは国軍将兵である。そのような死活的局面において、国軍将兵の最も切実な問題は「われわれは一体何を守るために戦い、何のために死ぬのか」という突き詰めた精神的な命題である。然るに現行の安倍内閣も含めて、戦後の歴代内閣は、瑣末な法律論争に膨大な時間と労力を費やす一方で、この死活的な命題に対する回答を避けてきた。またマスコミも、比較的健全な論調を展開する「産経」ですらこの問題に真正面からの取り組みを避けている。これでは、集団的自衛権を容認し、いくら防衛力整備に資金を投入しても、肝心の国軍将兵の士気は高揚せず、民族の底力を十分に発揮することはできないであろう。
 いくら装備・武器が敵のそれに対して脆弱でも、将兵に絶対の忠誠心と不屈の闘争心があれば、苛烈な戦闘に堪え、ついには勝利することが期待できる。日清、日露の戦勝はこれの発露であり、ベトコンやタリバンの勇猛果敢な戦いぶりがこれの好例である。即ち彼らの勝利は、戦時において勝敗の帰趨を決する究極的な要因は、武器の優劣や作戦の優劣もあるが、最終的には死をも恐れぬ将卒の士気にあることを示している。問題はこうした将卒の絶対不屈の戦闘心・ファイテイング・スプリットが奈辺に源泉するのかということである。
 大東亜戦争において、最終的には我が日本軍は降伏したが、その戦いぶりは歴史に残るものがある。戦争指導、あるいは戦略的段階での数多くの間違いや、原子爆弾やレーダー、VT信管の開発等に遅れをとるという科学技術上の遅れにより敗戦を余儀なくされたが、現場での各将兵の勇戦奮闘は世界の軍事史の中で出色のものである。ペリリユー島では米陸軍指揮官が解任されるほど米軍に大損害を与え、また海兵隊指揮官も更迭された。提督ニミッツはペリリユー島に「諸国から訪れる旅人達よ、此の島をまもるために、日本人が如何に勇敢な愛国心をもって戦いそして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官C.W.ニミッツ」という碑を建立している。 また次のような逸話も胸を打つ。
 第5艦隊司令官レイモンド・スプルアンス海軍大将指揮下の米軍は昭和20年2月16日から硫黄島攻略作戦を開始した。硫黄島配備の陸軍13586名、海軍7347名、合計20933名の日本軍は栗林忠道陸軍中将の卓越した統率の下、米軍と互角の戦いを実施したが、圧倒的な物量を有する米軍に徐々に追い詰められた。3月16日、栗林中将は「国のため重き勤めを果たし得で、矢弾尽き果て散るぞ悲しき」の辞世を詠んで決別電報を発信した。米軍は3月15日、硫黄島の完全占領を発表、米軍の戦死者6821名、戦傷者21385名であった。3月21日、日本の大本営は硫黄島守備隊が玉砕したと発表した。戦死者20129名、終戦時までの捕虜は1023名であった。
 以下はその戦闘における一人の日本兵の涙なしでは読むことのできない感動的な手記である。
      浅田真二陸軍中尉の死
 スプルアンス大将が硫黄島に降り立った翌日、摺鉢山の近くの穴から、片足を失った日本陸軍少佐が這い出してきて投降した。そして「あの穴の中に部下が30人いる。その中に日本の東京帝国大学を出た優秀な青年がいる。あいつはこれからの世界のために残したい。私を殺して、あいつを代わりに助けてやってくれ」と言った。スプルアンス大将が「二人とも助けてやる」と言うと、その少佐は「サンキュー」といって、息を引き取った。そこでスプルアンス大将は穴の所へ行き「君たちの隊長が君たちを助けてやってくれといって息を引き取った。もう戦いは終わった。だから出てきなさい」と説得するが、彼らは「出ていくものか」といって出てこなかった。大将が「タバコはあるか」と聞くと、「そんなものあるものか」と答えるので、大将はタバコを穴に投げ入れた。しばらくすると中からタバコの煙が出てきて「ありがとう」という答えが返ってきた。「タバコならいくらでもあるぞ。だから出てこい」というと、「出るものか」と答える。「お菓子はあるか」と聞くと「ない」と答える。チョコレートを投げ込むと「ありがとう」と答える。「出てこい」と言っても「出るものか」の繰り返し。そんな膠着状態が2月から5月まで続いた。食糧もなく穴の中で頑張り続ける兵士たちは次々に餓死していき、最後は7人しか残っていなかった。そして5月13日の午前4時。穴の中で爆発が起きた。スプルアンス大将が駆けつけると穴の入り口に英語と日本語の手紙が置いてあった。

 閣下の私たちに対するご親切なご厚意 誠に感謝、感激に堪えません。閣下よりいただきましたタバコも肉の缶詰も皆で有難く頂戴いたしました。お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。最早水もなく食もなければ、13日午前4時を期して、全員自決して天国に参ります。終わりに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。
         昭和20年5月13日 日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルアンス大将殿

 これを見たスプルアンス大将は、戦後アメリカに帰ってから十数年間、アメリカを講演して回った。「アメリカの青年よ、立ち上がれ。東洋には素晴らしい国があるぞ。その国は日本だ。日本にはお前たちが想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいる日本はやがて世界の盟主になるであろう。米国青年よ、奮起せよ」と。(松本恭介「日本の歴史と文化と伝統にたって」)
 この浅田中尉のような武士道に基づく尊敬すべき精神構造を持つ日本人は軍人のみならず、一般の日本人の中にも普遍的に数多く存在していた。またこのような勇戦奮闘の例は特攻作戦をはじめ硫黄島、タラワ、マキン、ガダルカナル島等の太平洋全域及び沖縄において枚挙に暇がない。このような敢闘精神の根源は何処に存するのであろうか。
 勿論、国土、愛する家族、友人の生命及び財産を護ることもあったことは確かである。しかしそれ以上に、万世一系、幽玄の昔から営々と築き上げてきた祖国日本そのものの繁栄と存続、及び子孫興隆の為犠牲になることを厭わない。それの基盤である天皇の最高指揮官としての存在がおおきな原動力であったとことは間違いないであろう。
 これがもし、東条、小磯、鈴木総理が統帥権を握っていたらあのような勇戦奮闘がありえたであろうか。英国の場合も、確かにチャーチルは立派な国の指導者であり、その戦争指導は水際立っていた。しかしチャーチルが軍の最高指揮官で、あの苛烈なバトルオブブリテンに勝利を得たといえるであろうか。チャーチルの背後に君臨するジョージ6世を最高指揮官に戴き、王立空軍、王立海軍、英国陸軍兵士が勇戦奮闘したことと、国民が一致団結して艱難辛苦に耐え抜いたことが戦いに勝利した最も大きな原因と考えられる。ある意味、毀誉褒貶が多く、敵も多かったチャーチルがジョージ6世に代わり人心を掌握することはあり得ないことであったと思われる。
 現在の自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣である。前述したように自民党改憲草案、産経新聞改憲要綱も新国軍の最高指揮官を総理大臣にしている。しかし戦争は生死の問題を避けて通れない。祖国に命をささげても悔いなしということは、世俗を超越した目的、つまり日本国へのいわば信仰であり、聖戦の大義に殉じるということである。それがなければ、国家がいくら強権を発動しても、国軍将卒はもとより国民の死力を尽くしての貢献を期待することは到底不可能である。
 しからば、このような国民及び新国軍将卒の信仰の源泉をどこに求めるのが至当であろうか。これはいままでいろいろと論じてきたように、元首である万世一系の天皇以外にはあり得ない。最近皇室に対する国民の尊崇の念が希薄になりつつあるが、それでも天皇の存在は我が日本人の紐帯の精神的中心であることは疑いのないことである。
 先の大戦における敗戦の結果、我が国はアメリカから屈辱的な憲法を押し付けられている。この憲法は天皇象徴性を謳(うた)いながら、一方では国民主権を謳(うた)っている。この国民主権については、その論理性の誤りについて記述したところであるが、誤った教育によりこれが定着している。しかし我が国の国体は天壌無窮の神勅によって、天皇を唯一正当な君主に戴くことになっており、兵馬の大権も本来朝廷に帰すものである。その意味で憲法改正、自主憲法制定は早期に実施しなくてはならない。
 目下安倍政権は、憲法解釈を変更し、限定的な集団的自衛権を容認し、防衛力の向上に努めようとしている。安陪総理が陛下の忠臣であり、現実政治の制約の中で、国家民族の再生に尽力しておられることに対し、尊敬の念を抱く者である。
 しかしながら、将卒及び国民が心の底から国のため、任務の完遂に体を張り、たとえ命を失っても惜しくないという気持ちをさらに高揚させるためには、国軍の統帥者は首相よりも日本国家を具体的に象徴し、日本人の琴線に特別の意味を与えられる万世一系の天皇をおいて他にないのではないか。
 わが国民は一旦緩急ある場合は天皇の下にその時代、時代に時の国民が一致団結して国難に対処してきた。そのためには、天皇を最高指揮官に戴き、物心両面において、精強な国軍の存在が必要不可欠である。それ故、改正憲法若しくは新憲法においては元首たる天皇は新国軍の最高司令官であり、統帥大権を有する。しかし統帥大権の行使は内閣総理大臣が輔弼し、これを実施するという英国型統帥権行使を明記することが至当である。

(続く)