第五話 偽造された田中上奏文

山下 輝男


 秦郁彦氏の名著「昭和史の謎を追う」の第1章は「田中上奏文から「天皇の陰謀」まで」であり、そこに偽書の系譜なるものが示されている。Aクラスの偽書として、ピョートル大帝の遺詔、シオン議定書、ジノヴィエフ書簡、毛沢東の世界革命計画書、天津教古文書、バーガミニの「天皇の陰謀」等が例示されている。
 不思議なことだが、「田中上奏文」が偽書と承知していながらも、中国はこれを利用し続ける。中国が「日本の中国侵略と世界征服の陰謀の証拠」として再三採り上げる田中上奏文の内容を管見する。田中上奏文は、中国人によって捏造された最も有名な反日文書であり、大東亜戦争に直結する偽書でもあるので、大東亜戦争期間中の話題ではないが、敢えて取り上げたい。本文書の流布するようになったのは1927(S2)年である。
 田中上奏文とは、1927(S2)年、田中首相が東方会議後に昭和天皇に奏聞したという上奏文で、「田中奏摺(そうしょう)」とも「田中メモランダム」とも称される。
 田中義一首相が、1927(S2)年6月から7月に掛けて、参謀本部、関東軍首脳及び外務省幹部を招集して対中国政策を決定した東方会議の後、昭和天皇に「奏聞」したという上奏文であり、一木宮内大臣宛の「対満蒙積極政策執奏之件」を依頼する書簡と「我帝国於満蒙積極根本政策之件」と題する「田中義一の日皇に上る奏章」がセットになっている。
 この文書が世に出たのは、1929(S4)年12月浜口雄幸内閣の時である。何故か、当初は漢文で出現し、次いで英文パンフとなって全世界にばらまかれた。英露独語にも翻訳され、中国訳だけで十数種類があるというから驚きだ。この反響は轟轟たるものであったという。本文約4万字である。
 宮内大臣宛の書簡には、田中が組閣の大命拝受に当たり、天皇から「支那及び満蒙に対する行動は須らく我が国の権利を確保し以って進展の機会を策すべし」との勅諭を受けたので、東方会議を招集して満蒙に対する積極政策を議定したとしている。
 最も有名な部分は、「支那を征服せんと欲すれば、必ず先ず満蒙を征服せざるべからず。世界を征服せんと欲すれば、必ず先ず支那を征服せざるべからず」とする明治大帝の遺策」であろう。
 日本は、1930(S5)年2月、田中上奏文を偽物と断定して中国政府に抗議している。宮内大臣を経由しての上奏は決してあり得ない。既に死亡している山縣有朋に関連する部分の明白な誤り等々全く事実無根の偽書である。多数の問題個所があり偽書と断定良かろう。
 また、品格の欠片の一片もない異様にどぎつい用語の使用等、日本人の文章ではあり得ない。
 真贋を巡る国際連盟での論戦でも中国代表は「満州侵略の全事態こそ日本の行動の証明だ。」などと開き直っている。戦後の東京裁判でも、その実在を証明するのではなく、開き直りの論を展開した。共同謀議の証拠としては非現実的であるとして、検察側すら採用していない。
 オリジナルの日本語の文書が見つけられない、田中密奏を手に入れたという人物の話に至っては噴飯ものであるとも。偽造犯人は誰か?各種あるが、それについては触れない。
 何れにしても、本書を本物と決めつけ、反日愚民教育を繰り返しているのは中国だけである。陰謀論の好きな中国人らしいとも云えるという。世界的虚言癖の表れだ。
「天皇の陰謀」も偽書だが、格が落ちると秦氏は指摘している。


(第五話 了)