第九話 東京裁判批判

山下 輝男


 大東亜戦争後、ポツダム宣言に基づき、東京に置かれた極東国際軍事裁判所で、日本の主要な戦争犯罪人に対する裁判が行われた。別名東京裁判とも云う。1946(S21)年5月3日~1948(S23)年11月12日まで審理が行われ、死亡・精神異常による免訴3名を除く被告25名全員が有罪とされ、うち東条英機元首相等7名は絞首刑となった。
 本東京裁判が戦後の日本人に極めて甚大な影響を及ぼしている。日本の歴史の負の部分を殊更に強調する一方で、正の部分を過小評価し日本が貶められている。
 もうそろそろ、そのような自虐史観、日本悪玉論から脱却して公正に歴史を振り返るべきだろう。



 東京裁判が開かれたのは、市ヶ谷にあった陸軍士官学校の大講堂であり、現在はその枢要部分が記念館として保存されている。




 以下、各種資料等を参考にした東京裁判批判である。
①事後法(極東軍事裁判条例の布告は 1946/1/19)に基づく裁判
罰刑法定主義、刑罰不遡及の原則に違反し且つ裁判管轄権の問題
通例の戦争犯罪(戦争の法規慣例違反と解釈すべき)のみの裁判権しかない。
②厳正中立な裁判官ではなく、戦勝国出身の裁判官による敗戦国に対する裁判
11 人の 裁判官中中立国の裁判官皆無、裁判官の資格すらない者の存在
③裁判の手続き上の問題
再審査や米連邦最高裁への訴願も直ちに却下、偽証罪は問わず、伝聞も証拠採用、反対尋問の機会もなし、日本側提出の膨大な証拠書類は却下、証人の法廷出席極めて少なし、裁判官の合議欠如等々
④極東国際軍事裁判所の設置の不当性
本裁判条例は米JCSの命を受けたマ元帥が行政命令として制定、事後承諾
⑤米国の狙いは何か「降伏後における米国の初期の対日方針声明」 (1945/9/22)では日本の弱体化 → 極めて政治的な裁判、不当に重い量刑即ち報復裁判?
⑥人道に対する罪としてのアウシュビュツに対応するものとして南京虐殺を
⑦判決:裁判所条例では少数意見も朗読すべしとされていたが、朗読も概要発表すらなし
⑧国際法違反
抑々、パリ不戦条約で国家政策としての戦争は犯罪ではない。国家の行為に対し、その官職の地位にあった者の責任は問われていない。
⑨共同謀議の捏造とそれに資する証拠のみの採用
起訴状にある昭和 3 年以降の共同謀議(第五話田中上奏文参考)に沿った裁判指揮
⑩サンフランシスコ講和条約11条の解釈について
サンフランシスコ講和条約第 11 条で受け入れたのは裁判か判決(judgments)かの論争11 条で受諾したのは、判決であり、裁判を受け入れた訳ではないと解すべき

(第九話 了)