第二十話 斯かる蛮行許すまじ! 従軍看護婦の集団自決

山下 輝男


 卑劣なるソ連兵の毒牙にかかるよりは、大和撫子の純潔を守らんが為に悲壮なる集団自決を遂げた従軍看護婦の知られざる話である。慟哭なくしてこの話が出来ようか。樺太は真岡の電話交換士の集団自決(注 下段参照)事件以上に悲しくてやり切れぬ。



 さいたま市西区の青葉園に、彼女らの霊を祀る青葉地蔵尊がある。(写真)
 ソ連兵の鬼畜にも劣る蛮行が忘れられている現状を嘆かざるを得ない。電話交換の乙女らの慰霊を弔う氷雪の門に比して、何と知られていないことか。青葉園慈蔵尊の顕彰碑に刻まれた碑文は以下の通りである。

『昭和二十一年春ソ連占領下の旧満州国の新京の第八病院に従軍看護婦三十四名が抑留され勤務していたが、ソ連軍により次々に理不尽なる徴発を受け、その九名の消息も不明のまま、更に四回目三名の派遣を命ぜられた。拒否することは不可能であることを覚悟したその夜、最初に派遣された大島看護婦が満身創痍瀕死の身を以て逃げ帰り、全員堪え難い陵辱を受けている惨状を報告して息絶えた。慟哭してこれを葬った二十二名の乙女たちは、六月二十一日黎明近く制服制帽整然として枕を並べて自決した。先に拉致された同僚たちも恨みを呑んで自ら悲惨なる運命を選び満州の土に消えた。
 二十三年の暮れ堀看護婦長に抱かれて帰国した二十二柱の遺骨は幾辛酸の末漸く青葉園園主の義侠により此地に建立された青葉地蔵尊の台下に納められた。九名の友の霊も併せ祀られ 昭和三十年六月二十一日開眼供養が行われて今日に至った。凛烈なる自決の死によってソ連軍の暴戻に抗議し、日本女性の誇りと純血を守り抜いた白衣の天使たちの芳魂とこしなえに此処に眠る合掌」
 顕彰碑の裏面には、彼女等の遺書が刻まれている。『二十二名の私たちが、自分の手で命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑と深くお詫び申し上げます。私たちは敗れたりとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死をえらびます。たとい命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の土に止り、日本が再びこの地に還って来る日、御案内致します。その意味からも、私どものなきがらは土葬にして、この満州の土にしてください。昭和21年6月21日散華旧満州新京(現長春) 通化路第八紅軍病院 』
 知られざるソ連兵の蛮行である。
注:真岡郵便電信局事件

 当時日本領だった樺太では、ソ連軍は、1945年8月15日の玉音放送後も侵攻作戦を継続していた。
 真岡郵便局の電話交換手は、疎開をせずに業務中だった。8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が死亡した。
 自決した電話交換手以外に残留していた局員や、当日勤務に就いていなかった職員からも、ソ連兵による爆殺、射殺による死者が出ており、真岡局の殉職者は19人にのぼる。(写真は九人の乙女の像)

(第二十話 了)