第二十一話 帝国憲法下における政軍関係の問題点

山下 輝男


 今日的な政軍(civil-military relations)関係に比すれば、帝国憲法下における政軍関係は歪である。統帥権が独立し、陸・海の軍部大臣は予備役又現役の将官を指名(武官制)することとなっていた。これを盾にして軍部が暴走し、国家を誤らしめたと巷間信じられている。
 明治欽定憲法11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(統帥大権)とあり、第12条には、「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」(編制大権)がある。これらの大権は、所謂国務の枠外にあるというのが明治憲法の思想である。
 統帥権の内容は、広義には、陸海軍の組織と編制などの制度、人事と職務の決定、出兵と撤兵の命令、戦略の決定、軍事作戦の立案や指揮命令などの権限である。狭義には、軍事の専門家である参謀総長・軍令部総長に委託した戦略の決定や、軍事作戦の立案や指揮命令をする軍令権のことをさす。
 これらは陸軍では陸軍大臣と参謀総長に、海軍では、海軍大臣と軍令部総長に委託され、各大臣は軍政権を、参謀総長・軍令部総長は軍令権を担った。明治憲法下天皇の機能は特に規定がなければ、国務大臣が輔弼することとなっていたが、軍令については国務大臣ではなく、統帥部(参謀総長、軍令部総長)が輔弼することとされていた(帷幄上奏)
 統帥と国務が並立存在し、その調整システムも不十分だった。更に内閣の一員である陸海の軍部大臣は、言うならば内閣総理大臣と同格であり、総理が軍部大臣を指揮命令する権限はない。各国務大臣が個々に天皇を輔弼するという構図だ。



○軍部大臣武官制とその悪用
 武官制、即ち、予備役又は現役の軍人を軍部大臣に指名することとされていた。現役とするかどうかには変遷があったが、軍部大臣現役武官制が復活し、軍から推挙された候補者をそのまま大臣とせざるを得ず、屡悪用された。協力を欲しない内閣首班に対しては、なり手が居ないとして推挙せず、時には陸海軍大臣を単独辞職させ、その後任を指名しないで内閣総辞職に追い込んだ。 


○統帥と国務の調整
 明治憲法下では、戦争指導機構が制度的に欠如していた。満州事変初期の戦争指導は、国務の一環として閣議において議せられ、意思決定が為されている。その後も四相会議(首相、外相、陸相、海相)が設けられた。その後、1937(S12)年大本営政府連絡会議を便宜的設置にすることとなった。これが実質的な国家の最高意思決定機関と見做されるようになった。その後、大本営政府連絡懇談会となり、大本営政府連絡会議として復活、次いで最高戦争指導会議となった。
 これのイニシアチィブを執ったのは概して陸軍であったと云われる。

○政治権力は天皇に帰一することとなっていたが、「君臨すれども統治せず」との基本原理の下では、政治も軍事も知悉している元老が十分な補佐を行っていた。然し、元老なき時代では政治が軍事を統制し得る余地少なく、大戦略の不在、戦争指導機構の不備、首相の権限の弱体等が相俟って、日本は敗北に突き進んでいった。

現代の日本ではこれらは改善されているが、軍事を理解していない政治家が多いのが懸念される。
 

(第二十一話 了)