第二十六話 捕虜に係る虐待事例や認識の差

山下 輝男


 大東亜戦争間における日本軍の戦争犯罪とされるものの大半は欧米人捕虜に対する虐待である。
 先行研究(「旧軍における捕虜の取り扱い」(立川京一氏 防衛研究所紀要第10巻第一号 http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j10_1_3.pdf)によれば、捕虜虐待は、次のように分類される。

① 捕虜収容所外における虐待
(1)移動にまつわる虐待(バターン死の行進、サンダカン死の行進、泰面鉄道建設動員捕虜移動、スマトラ北部建設労務捕虜移動、海上移動時の海没捕虜等)
(2)労務にまつわる虐待(泰面鉄道建設、パレンバン等飛行場建設、スマトラ軍用道路建設、善通寺砲弾薬莢磨き、防空施設建設、弾薬運搬、石炭採掘等々)
(3)逃亡にまつわる虐待(大阪俘虜収容所桜島分所、福岡俘虜収容所本所、フィリピン俘虜収容所第1分所等々)


② 捕虜収容所内で生起した虐待
劣悪な居住環境、不十分な医療態勢、食糧の典型的な日本食メニューと不十分な量、
収容所内の具申・請願対応不備や交戦相手国から紹介・抗議対応不備、
捕虜弓術対応不備、訪問・面会対応、空襲日害、生体実験、私的制裁、私物の略奪、
捕虜郵便発受や書籍等の検閲等の対応


③捕獲連合国軍航空機搭乗員に対する虐待
(東海軍管区(38名)、中部軍管区(55名)、西部軍管区(41名)、石垣島(3名)、東部軍管区(空襲時に62名、17名)大陸や南方占領地でも


④ 捕獲直後の捕虜に対する虐待(ラハ事件、ランソン事件)
これら事件等に係る反論や見解等は、詳述は割愛するが、以下の通りである。
①日本の文化・習慣に対する誤解(牛蒡を木の根を誤解するetc)
②旧軍の捕虜の待遇に関する理解・認識不足
③同胞に対する無差別爆撃等に対する復仇
④日本軍も極限状況下にあり、他に対応すべき手段等なく、止むを得なかった。
(独善的、正当化し過ぎとの批判はあろうが、当時の状況を考慮すれば、このようにも云えよう。)


一例として、「バターン死の行進」(80㎞、1.8万人の米比軍捕虜死亡)と非難されるについてみてみる。



・日本兵の食料も欠乏する中、日本兵は重装備携行、捕虜は水筒のみ
・捕虜輸送用の車両なく、徒歩移動以外に手段なし
・鉄道郵送可能となったサンフェルナンド以降捕虜収容所までは鉄道輸送実施
・双方共に体力なく、マラリアに罹患している者多く、病死者も多数発生
・1日の行進距離はさほどではなかったが、双方にとって厳しい行軍であったのは事実
・想定を上回る捕虜数(7.6万人)で、捕虜輸送計画が破綻
・捕虜に対する軽侮の念が虐待に繋がった。
・少なくとも意図的・意識的・組織的に非人道的取扱をした訳ではない。
・辻正信が偽の捕虜の集団処刑命令を出しとされる。拒否した部隊、実行した部隊あり
 戦犯裁判のための一方的な証言だけでは実相は不明だし、敵愾心高揚の宣伝内容を鵜呑みには出来ないが、戦時下の捕虜取り扱いには留意すべきだ。


(第二十六話 了)