第二十八話 「百人斬り」論争は決着しているのでは!

山下 輝男


 百人斬り競争とは、支那事変初期、野田毅少尉と向井敏明少尉が、南京入りまでに日本刀でどちらが早く100人斬るかを競ったとされる行為である。
 百人斬りの第一報は、1937(S12)年11月30日に東京日日新聞(現毎日新聞)が「向少尉と野田少尉が敵兵をどちらが早く百人斬りするか競争している。無錫から始めて現在65対25云々」(浅海、光本、安田 署名記事) というものである。戦中は前線勇士の武勇談として賞賛された。


(佐藤カメラマン(後述参考)撮影)


 両少尉は、陸軍少佐として復員除隊していたが、GHQにより逮捕され、南京戦犯拘留所に移送され、南京軍事法廷で起訴、1948年1月28日南京郊外(雨花台)で処刑された。
 その根拠とされたのは、東京日日新聞やその転載資料であった。新聞記事を証拠としたのは中国の判例にも違背している。
 今日、事実か否か、誰を斬ったのかを巡って論争がある。また、遺族を原告とした名誉毀損裁判が提訴されたが、訴訟については毎日新聞、朝日新聞、柏書房、本多勝一の勝訴、原告敗訴が確定している。

○主な肯定説
 実際の百人斬りは、捕虜や農民の据え物斬り、殺人ゲームだった。野田少尉の講演で告白、同中隊の兵の手記に日本刀惨殺の記述、両少尉は、戦時中事件を否定する証言していない、野田少尉の手紙に記載等々


○主な否定説
 両少尉の属する部隊の陣中日誌と報道内容の矛盾、向井少尉は負傷して百人斬り参加不可能、白兵戦における個人の戦果を競うことはなし、両少尉とも最前線で白兵戦に参加する立場にない。戦意高揚の武勇伝に過ぎぬ。勝者に賞を出すようなことはあり得ぬ。野田少尉の戦後の手記で記者から持ち掛けられ、冗談で応じたのが事実。部下達が何れも否定している。報道された少尉の言葉とされたものは当時の将校が使う言葉ではない。
 毎日新聞社自身、毎日新聞が平成元年3月5日に発行の『昭和史全記録』の中で、百人斬りに触れ、『この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された。ところがこの記事の百人斬り競争は事実無根だった。』と書いている。最もこの内容について、毎日新聞社の公式見解ではなく、執筆者の勝手な見解であったと云う。変な理屈が罷り通るマスコミ界?
 第一報の両少尉の写真撮影した佐藤カメラマンの証言、肯定側主張への疑問・批判多数


 両少佐の遺族が、2003(H13)年に名誉棄損で提訴、2006(H18)年の上告棄却で名誉棄損は認められなかったが、「百人斬り」自体は、日本刀の耐久性などからしても記事内容は信じられず、記事が伝えた戦果も甚だ疑わしいと認定された。
 間接的な根拠、裏取り・検証もせずに、斯かる残虐行為を事実と報道し言い立てることは罪が大きい。
 戦意高揚の為とはいえ、それ真実であるとして独り歩きをするから怖い。日本人を貶めること甚だし。誤りを認めるに憚ること勿れ。

(第二十八話 了)