第二十九話 我が将兵の敢闘、此処にあり!(1)

山下 輝男


 絶海の孤島で、昼なお暗き鬱蒼たる密林で、灼熱の地下洞窟で、そして極寒の僻遠の地でで、日本軍将兵は、愛して已まない家族や同胞のため、己を育ててくれた地域のため、そして我が国のために、勇戦敢闘し、時に敵の心胆を寒からしめ、敵将からも賞讃された。本百話で、その幾つかを取り上げたい。
 その第一回目は、「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男」(映画)の主人公である。
 この映画は、長編実録小説「タッボーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日」を原作とした2011年2月に封切られた日本映画である。配給は東宝
 大東亜戦争末期、米軍の反攻に劣勢に立たされた大本営は、1943(S18)年9月末、サイパン島を含むマリアナ諸島をも包含した絶対国防圏を定め、防備を急いだ。
 第43師団を主力とする日本軍が守備するサイパン島に、米二個海兵師団、1個歩兵師団が上陸(6月15日)し、各所で激戦を繰り返したが、遂に7月5日、合同司令部(南雲中将、斎藤中将)は、全軍で玉砕突撃し全員の死をもって太平洋の防波堤になるに決した。
 攻撃命令を発し、訓示をした後、両中将を含む三将官は自決した。行政のトップ支庁長も同じく自決した。
 日本軍は敢闘するもサイパン島守備隊は玉砕し、追い詰められた日本兵や民間人が、米兵の投降勧告、説得に応じず、80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖(岬)である。戦後バンザイクリフの名で呼ばれるようになった。自決者の数は1万人にのぼるとも言われている。他にスーサイドクリフも。7月9日米軍は占領を宣言した。

○サイパン戦へのアメリカ軍評価 Wikiには要旨以下の記述
・米海兵隊の戦史局:「日本軍は、最後は膝を屈したが、それでもよく戦った。世界中の兵士を比較した場合においても日本兵の粘り強さは最高水準にある。それは狂信的とも評価されるが公正な評価とは言えず、「実に素晴らしい愛国心」と評価すべきであろう。いずれにしても日本軍はどのような国とでも誇り高く戦える特徴を有していた。」
・マリアナ攻略艦隊第5艦隊司令スプルーアンス大将や統合遠征軍第51任務部隊ターナー中将などマリアナ攻略作戦の指揮官や幕僚らは、サイパン戦での日本軍の頑強な抵抗とその持続力に畏敬の念を抱き、(以下略)


○ゲリラ的抵抗をつづけた大場栄大尉隊47名:フォックスと呼ばれた男


 サイパン被占領後もゲリラ的抵抗を続けていた残存日本軍もポッダム宣言受諾後順次投降した。そのような状況の中で、サイパン最高峰タッポーチョ山を拠点としていた歩兵第18連隊衛生隊の大場栄大尉以下47名は、ポッダム宣言受諾後も16ヶ月間も戦闘を継続した。地形を熟知し、風を読み、神出鬼没、掃討作戦中の米軍を翻弄し、多くの民間人を守り抜いた。米軍からは「フォックス(狐)」と畏れられた。
 1945年11月27日(発令は25日)に独立混成第9連隊長の天羽馬八陸軍少将の正式の命を受け、12月1日、軍歌(隊歌と「歩兵の本領」)を歌って戦没者の霊に弔意を示しながら山を降り投降した。
 絶望的な状況の中で、友軍が必ずサイパン奪還にくる筈だと信じて、最後まで生き抜いた彼等の誇り高き魂が、日本のみならず米国人の魂まで揺り動かした。合掌

(第二十九話 了)