第三十話 我が将兵の敢闘、此処にあり(2)
副題:敵が称えて海軍葬・遺骨送還そして慰霊

山下 輝男


 海軍特殊潜航艇で奇襲攻撃を敢行し、撃沈された日本軍将兵に対し、海軍葬をもって遇し、遺骨を日本に引き渡した日豪軍の武士道・騎士道精神の物語がある。

 1942(S17)年5月末、帝国海軍は英国の通商破壊の目的を以って、長駆インド洋マダガスカルの英国軍港と豪州シドニーの軍港に特殊潜航艇による奇襲攻撃を敢行した。


 特殊潜航艇とは、潜水艦に搭載された小型潜水艇で、日本海軍は「甲標的」と呼ばれる特殊潜航艇を運用した。
 鉛蓄電池によって行動する小型の潜航艇であったが、後に発電用のディーゼルエンジンを装備した。全没排水量:46t、全長:23.9m、水中速力:24kt、乗員:2名、兵装:45cm魚雷発射管2門である。艇長は将校、他に兵曹乗組

 シドニー港奇襲では、5隻の潜水艦と特殊潜航艇を搭載した3隻の潜水艦が作戦に参加した。
 トラック島を出港し、5月30日シドニー沖に到着した。
 1隻目は防潜網に捉えられ自爆した。2隻目は侵入に成功し、アメリカ海軍の重巡洋艦「シカゴ」を魚雷により攻撃したが、魚雷は目標をそれてオーストラリア海軍の宿泊艦「クッタブル」を沈没させ、その隣にいたオランダ海軍の潜水艦を撃破し、クッタブルの乗船者19人が死亡した。攻撃を終えるも、豪海軍の攻撃で損害を受け、帰投できずに深海深く潜没してしまった。
 3隻目は、港内侵入には成功したものの厳しくなった警戒のため豪州海軍の爆雷攻撃を受け自爆せざるを得なかった。
 特殊潜航艇はシドニー湾の南方40キロメートルの地点で母艦に回収される予定だったが、3隻とも帰還できなかった。母艦潜水艦は6月3日まで帰投を待っていた。
 豪海軍は、自爆した2隻を引き揚げ、6月9日、4人の海軍軍人に対し海軍葬の礼をもって弔った。海軍葬を行った豪海軍シドニー地区司令官グールド少将は、「「日本から 1 万キ ロ離れたシドニー軍港に対して、鉄の棺桶に乗って突入した勇気 は、一民族のものではない、全人類のものである。オーストラリ アの青年諸君、日本軍人の千分の一の愛国心をもって、国のため に尽くしてもらいたい」と弔辞を述べました。海軍葬に対しては豪国内から批判があったが、少将はそれでも海軍葬を挙行し、その勇敢さを讃え、礼を尽くし、葬儀後はラジオ演説し、国民に訴えたという。
 葬儀終了後、4 人の遺体は荼毘に付され、4人の遺骨はシドニーで拘留されていた駐豪
 公使に引渡され、10月9日に横浜港に「喪の凱旋」をした。
 特殊潜航艇は、その後永久保存 の手が加えられ、キャンベラの戦争記念館とシドニーに安置され ている。毎年5月になると、オーストラリアのマスコミは「深海からの勇者たち」という特集を組み、彼らの勇気を讃えている。2017年5月31日、日豪による両軍戦没兵士の追悼式典が行われた。
 同時期にマダガスカル北端のディエゴ・スアレス軍港を奇襲攻撃した特殊潜航艇2隻も、壮絶な最期を遂げた。2名は抜刀切込み、他の2名は艇から脱出するも射殺される。この射殺地に1976(S51)年慰霊碑が建立された。チャーチルはその回顧録の中で祖国のために献身し、類まれな功績をたてたと述べている。

(第三十話 了)