第三十一話 餓島にみる日本的なもの!

山下 輝男


 大東亜戦の戦局転回(攻守転換)点は、ミッドウェー海戦であり、ガダルカナル戦である。この二つは日本的な弱点を露呈したのではないかとさえ思われる。
 先ず、「餓島」とも云われたガダルカナル戦を見てみたい。

 ミッドウェー海戦の10日後、1942(S17)年6月16日海軍の飛行場設営隊がガダルカナル島に上陸し、飛行場を建設し、突貫工事の末、8月5日に完成した。その二日後、米海兵師団が奇襲上陸、日本軍は蹴散らされた。日本軍は、ガ島奪回のため、8月に一木支隊800名、爾後逐次に川口支隊3500名、海軍陸戦隊500名を投ずるも失敗、9月には2個師団を増派し、第二師団(師団長丸山中将)は上陸に成功した。死闘を繰り返すも、戦局好転せず、12月陸海合同の図演で奪回作戦は不可能と判断され、撤退が決定した。大陸命が1943(S18)年1月4日発令された。
 投入された日本軍の兵力は計3万6千人に達したが、飛行場の奪回はならなかった。ガ島への戦力集中競争に優った米軍は1943(S18)年1月には4万4千人となっていた。日本軍は輸送力不足から食料や兵器が欠乏し、餓死する者もおり、マラリアなどの熱帯病による死亡などもあり、後に「餓島」と呼ばれるようになった。
 ガダルカナル島奪回作戦に並行して6次の海戦が行われたが、彼我共に甚大な被害が生じた。
 色々と考えさせられる。

① 攻勢終末点を越えた作戦ではなかったのか? 抑々、米豪遮断作戦など、開戦当初の作戦にはなかった。当初作戦の予期以上の成功が、日本の事後の戦略を誤らしめた。


② 何故、ガダルカナルに飛行場を設定する必要があったのかが問題 カロリン諸島のトラック島を一大拠点として、西進する米艦隊を内南洋で撃破すると云うのが帝国海軍の基本構想であった。トラック島の防衛のために更に前方に警戒拠点を設ける必要があると判断してガ島に目を付けた。前に出たら更にその前に出たくなるのが常だが、・・


③ ガ島占領の要否に対する大本営内部の認識の不一致 前進陣地や警戒陣地の要件は? 情報収集上の必要性はあったが・・
陸軍は知らなかった、軍令部内部でも情報共有があったのか等々の奇怪な話もある。


④ 米軍の反攻に関する見積の誤り

⑤ 兵力の逐次投入の弊
兵力の逐次投入は、兵家の戒むるところ

⑥ 奪回作戦成功条件の作為は? 成否を如何に見積もったのか?

⑦ 陸海の統合作戦にも拘らず、密接な調整がどれ程為されたのか?

⑧ 撤退決断の遅れ 陸軍も海軍も何故か言い出せなかった?

⑨ ミッドウェー海戦結果をどう判断すべきだった?陸海の情報共有は充分だったのか?

⑩ 撤退は、夜陰に乗じて着岸した駆逐艦により、奇跡的に成功した。1万人以上が撤退

⑪ 大本営は、撤退を「・・目的を達成せるにより、・・同島を徹し他に転進せしめられたり。」と発表した。「転進」との語彙が評判が悪いのは解るが、我に不利な情報を如何に周知・共有せしむるか、秘密保全が必要なのか?少なくとも政治指導者には知らしめるべきだったのでは等々

⑫ 米軍の反攻時期に関する情勢判断誤り 楽観的?

(第三十一話 了)