第三十三話 史上最悪の作戦と師団長の抗命

山下 輝男


 史上最悪の作戦とも称され、作戦期間中に隷下師団長三名が罷免・更迭(5月9日第33師団長柳田中将、6月9日第15師団長山内中将爾後客死、作戦中止後の7月9日第31師団長佐藤中将)されるという異常事態が出来したインパール作戦、補給を無視した無謀な作戦の代名詞であり、インパールからビルマへ通じる街道は「白骨街道」と呼ばれた。5万近い戦死者否それ以上ともされ正確な数字は今もって不明だ。
 ウ号作戦(インパール作戦の正式名称)は、1944(S19)年3月作戦発動、援蒋ルートの遮断を戦略目的として、牟田口軍司令官の指揮する第15軍(3個師団)が、英領印度北東部のインパールを目指して攻略を開始するも、アラカン山系中で敵の反撃を受け且つ例年よりも早く雨季も始まり、更にはマラリアに感染する者続出し、作戦続行が困難となった。既に攻撃の限界を超えていたと思われる。斯かる状況にも拘わらずに督戦する軍司令官に対し、第31師団長佐藤幸徳中将は、作戦継続困難を進言するも拒絶、作戦継続が厳命された。佐藤師団長は、6月1日、補給集積地まで独断退却した。陸軍刑法第42条に違反する行為であった。日本陸軍初にして最後の抗命事件である。何故か、軍法会議は開かれず、心身喪失とされ予備役編入となった。
 本作戦には、チャンドラボース氏率いるインド国民軍6000人も参加している。
 考えるのも空しくなる中で、唯一の救いは、殿軍を命ぜられた第31歩兵団長宮崎繁三郎少将の類まれな統率により任務を果たし、多くの将兵を救ったことだろう。
 作戦は、7月1日中止された。



① “糧は敵に求むる”式の補給無視、駄牛部隊方式のジンギスカン作戦など近代戦に適応し得ない作戦計画、認可の責任は?
② 部隊の現状を承知せずに督戦する愚
③ 積極論に引き摺られる国民性?
④ 作戦中止を決断し得ない司令官とその上官、上級指揮官や大本営の責任は
⑤ 方面軍、南方(総)軍参謀による15軍司令部視察あり。軍司令官の性格上駄目だと云えないとは解っていても、両軍参謀は、作戦可能と断じた、参謀本部に打電した。作戦中止の決断は難しいが、その厳しい判断を出来る高級将帥が必要だ。
⑥ ビルマ方面軍司令官河辺中将は隷下部隊の状況をどのように把握していた?
⑦ 実情を報告しない公式報告書と実態の差異
⑧ 抗命にも拘わらずに軍法会議を回避した日本陸軍の体質は問題
⑨ 補職は適切だった?指揮官間の信頼関係と人事、適性と適材適所を見極めた補職
(佐藤師団長と牟田口司令官は参謀本部時代に因縁ある間柄であったが、そこまで配慮すべきだったのか?理性派師団長と豪傑?軍司令官の相性)
⑩ 抑々インパール作戦は必要だったのか?必要性と可能性の節調は?
⑪ 英軍の状況把握が不十分だった。スチルウェル軍、ウィンゲート兵団の状況、南東アジア方面軍総司令官マウントバッテンの反撃機会到来判断等、兵力も懸隔
⑫ 命令違反以外に他に方法はなかったのか? 飽くまでも命令遵守か?辞職は無責任
 不法な命令とは言えず、拒否し得ず
⑬ 高級将帥如何にあるべきかを問いかけている。限界状況こそ頻繁なる意思の疎通必須

(第三十三話 了)