第三十九話 我が将兵の敢闘、此処にあり!(4)副題:硫黄島 米軍の損害>日本軍

山下 輝男


 日本軍守備隊の玉砕が相次ぐ中、絶対国防圏の一翼を占める小笠原諸島を防衛するため、1944(S19)年6月26日、大本営直轄の小笠原兵団長、栗林中将は硫黄島に司令部を置いた。米軍側も、同じく同島の価値を認め、沖縄作戦に先立ち、硫黄島攻略を決定した。
 日本軍は、ペリリュー島の守備隊と同様の防御方式を採用し、後方陣地及び全島の施設を地下で結ぶ全長28㎞の坑道陣地を計画・着手した。地熱や硫黄ガスに悩まされつつ厳しい作業に耐え抜いた。第一線は相互支援可能な陣地で構築され、至る所にトーチカが設置された。日本軍総兵力 陸軍13,586名、海軍7,347名、その他



 米軍の作戦は、2個海兵師団を並列し硫黄島南海岸に強襲上陸、橋頭保の迅速な確保と、第5海兵師団には南の摺鉢山、第4海兵師団には右側面の元山周辺の速やかな占領を企図していた。1940(S20)年2月19日、攻撃準備射撃に引き続き、上陸を開始した。23日摺鉢山が占領、26日夕元山飛行場陥落、3月7日、栗林中将は最後の戦訓電報を打電し、3月14日軍旗奉焼、16日大本営への決別電報を打電し、組織的戦闘は終結。嗚呼、玉砕!
 硫黄島の戦いで、日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死した。捕虜は、終戦までに併せて1,023名であった。
 米軍は、戦死6,821名、戦傷21,865名の約2万9千の損害を受けた。
 硫黄島の戦いは、太平洋における島嶼防衛戦において、アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であったと同時に、アメリカが第二次大戦で最も人的損害を被った戦闘の一つとなった。

トピックス
① 市丸海軍少将の『ルーズベルトニ与フル書』は7月11日米新聞で掲載
② 3月21日、大本営発表「戦局ツヒニ最後ノ関頭ニ直面シ、17日夜半ヲ期シ最高指導官ヲ陣頭ニ皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ全員壮烈ナル総攻撃ヲ敢行ストノ打電アリ。通爾後通信絶ユ。コノ硫黄島守備隊ノ玉砕ヲ、一億国民ハ模範トスヘシ。」
③ 作戦参加した第3、第4、第5海兵師団は硫黄島の戦いで受けた損害のために沖縄戦には参加できず、硫黄島上陸当日における戦死者数501名は、1日の戦闘によって生じた戦死者数としては海兵隊創設以来から最大である。
④ 摺鉢山に星条旗が掲げられた日は、戦後「アメリカ海兵隊記念日(合衆国海兵隊記念日)」に制定されていた。
⑤ 硫黄島を題材としたノンフィクション、歌集、ドキュメンタリー、ドラマは数知れず、映画は、『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』(何れも2006年)が話題となった。
⑥ 日米合同の慰霊祭(1985年以来 日米の硫黄島協会主催により実施2019年20回目) 怨讐を越えての合同慰霊祭は硫黄島のみだ。


 我が国の課題は、硫黄島戦没者の御遺骨収容の更なる促進だ。戦没者数21900柱に対し、未収容が、11450柱という状況だ。
 尚、小生も平成28年度第4次遺骨収集に2週間参加した。体験記は、(http://www.jpsn.org/report/iwo-to/

(第三十九話 了)