第四十一話 日米開戦前の日本の国力判断の妥当性は

山下 輝男


 本来最も合理的な判断をすべき軍事組織が、何故無謀な戦いを始めたのか?日米戦に勝利するとの確信かそれに近いものがあったのかが再検証されるべきだ。



 当時行われた国力判断を紹介して何が問題だったのかを見てみたい。

①  企画院による応急物資動員(物動)計画 1940(S15)年8月
 1940年6月、企画院に陸軍省整備局から「物動計画」が委託された。作業前提は、「連合国との全面戦争事態」である。8月にまとまった作業の結論は以下である。「1940年度を基準とすれば、供給はこれの三分の一程度・・」という惨めなものであった。

② 陸軍
 1940年1月18日、陸軍省戦備課による「南方処理ノ一想定ニ基ク帝国物的国力判定」が参謀本部首脳に報告され、衝撃を与えた。「対英米長期戦に帝国国力は弾発力を欠き、大いなる危険を招来」との結論であった。
 更に検討するよう命ぜられたが、甘い仮定条件ではあったが、出てきた数字は厳しいものであったという。「帝国の物的国力は対米英長期戦の遂行に対して不安を免れない。」従って、「帝国は速やかに対蘭印交渉を促進して、東亜持久圏の確立に邁進すると共に、無益の英米刺激を避け、最後まで英米ブロックの資源により国力を培養しつつ、あらゆる事態に即応し得る準備を整えることが肝要である。」とするものであった。この結果、陸軍は支那事変処理と対ソ戦に専念することになった。

③ 海軍 
 同じ時期、海軍が試みた国力判断でも、米英圏からの輸入が途絶えた場合、重要戦略物資は平均して一年分の需要を賄うのが精々だった。これを受けて吉田海相は、省部会議で、「日本海軍はアメリカに対して一年しか戦い得ない。・・一年間の持久力で戦争に飛び込むのは暴虎である。」と自重を求めた。

④ その後の国力判断
 その後も国力判断は行われたが、特に船舶損耗量の予測が重要であった。海軍省は船舶被害を上回る造船能力で補充が可能としたが、大甘だった。異論もあったが・・最後の国力判断は、東条内閣成立後、企画院が行い、1941(S16)年11月5日の御前会議では「辛うじて自給体制を保持し得る。開戦せずに現状のみでは頗る不利。」とした。これは陸海軍による辻褄合わせに数字に基づいたものであった。開戦決定を後押しした。
 11月29日の天皇と重臣たちとの懇談、岡田首相は「物資の補給能力につき十分成算ありや甚だ心配なり。」、米内海相も「ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならぬように。」と発言した。
 昭和16年所期における企画院及び陸・海軍の国力判断は、今から考えれば甘かったも知れぬが、至当なものであったと云えよう。この合理性が、何時しか「貿易断絶の場合こそ、国防力を喪失しないうちに、国家の生存を保障するため、進んで一戦して活路を求めなければならない。」との思想に転嫁してゆく。日本の苦悩がひしひしと感ぜられる。

(第四十一話 了)