第四十五話 何故、ソ連に期待したのか終戦工作

山下 輝男


 戦争を終結するには、軍事的に相手を屈服するか、有利な条件で和平を求めるかである。本来、戦争開始前に戦争の終末指導構想までをも検討確立しておくべきである。
 大東亜戦戦争においては、これらをどのように考えていたのか。特に何故最後の最後までソ連の和平斡旋・仲介に執着したのだろうか?大いなる疑問である。

1 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」(1941(S16)年11月15日採択)
 この腹案では、「速に極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。」の方針であった。軍事的勝利の確信も定かでなく、かといって如何に終戦に至るかの道筋も全く見えない。腹案の5項に、「対ソ」に関して述べている。“対ソ戦の惹起を防止、独ソの講和、ソの枢軸国への引き入れ”等、歴史を知る者から見れば信じられない発想が並ぶ。確かに日ソ中立条約が4月中旬に締結されており、当事者以外の大国となるとソ連しかいなかったのは解るが・・
 一撃講和論が次第に持ち上がってきたが、それも既に夢想に過ぎなかった。


2 淡い願望に基づく対ソ和平工作依頼等 (以下の月日は1945年であるので省略)
 終戦工作の動きが活発化するのは、サイパン陥落以降である。岸信介軍需次官の動き、近衛首相、一部の皇族、元駐英大使の吉田茂等が水面下で動いていた。然しながら、東条首相は飽くまでも強気であった。



① 2月 近衛元首相の近衛上奏文 日本の赤化を訴え、戦争終結を献言
② 2月4日~11日 ヤルタ会談(米英ソ)
③ 4月5日 ソ連、日ソ中立条約不延長通告
④ 4月7日 終戦工作を任務とする鈴木貫太郎内閣発足
⑤ 5月7日 ドイツ無条件降伏
⑥ 5月8日 最高戦争指導会議(首・外・陸・海相、陸海統帥部長)ソ連に和平斡旋を決定
⑦ 5月9日 首相戦争継続声明 表面的には戦争継続、裏面での和平工作
⑧ 6月8日 御前会議 本土決戦決定 (陸軍主戦派の意向に沿う内容)
⑨ 6月8,9日 木戸内大臣「時局収拾対策試案」作成し、関係者に説明、阿南陸相以外は好意的
⑩ 6月22日 天皇最高戦争指導会議招集、終戦工作を指示
⑪ 6月23日 広田(元首相)・マリク(駐日大使)会談  マリクに適当にいなされた?
       このころ頻々とソ連の対日参戦の情報等あり
⑫ 7月10日 最高戦争指導会議 ソ連への特使派遣決定(12日天皇近衛に特使就任)
⑬ 7月14日 広田の会見申込をマリクは拒否、スターリンはポッダムに出発
⑭ 7月27日 外相、ポッダム宣言対応は日ソ交渉を見極めてからと上奏(軍部の要求で)
⑮ 7月29日 広田・マリク会談 最後の会談
⑯ 8月8日 ソ連対日参戦布告・・日本には無条件降伏以外に道無し

 和平のタイミングは適切だったのだろうか? ソ連に仲介依頼は適切だったのか?仲介相手として、スイス、スウェーデン、バチカンなど挙げられた。鈴木首相のスターリンに対する印象も興味深いが割愛する。対日参戦意思を隠しつつ、日本を翻弄したのがソ連の仲介和平工作への対応だった。頼むべき相手を間違った悲しき事例だ。何れにしても、不利な状況になってからの和平工作は無理筋だろう。

(第四十五話 了)