第四十七話 訣別電報等に見る将兵の想い(2)

山下 輝男


5 アッツ島担当の第二地区隊長 山崎保代陸軍大佐    1943(S18)年5月29日
『二十五日以来敵陸海空の猛攻を受け第一線両大隊は殆んと壊滅・・要点の大部分を奪取せられ辛して本一日を支ふるに至れり・・本二十九日攻撃の重点を大沼谷地方面より後藤平敵集団地点に向け敵に最後の鉄槌を下し之を殲滅 皇軍の真価を発揮せんとす・・・』



6 玉音放送後の特攻 宇垣纒中将 1945(S20)8月15日
 宇垣中将は、その戦藻録に「未だ停戦命令に接せず。多数殉忠の将士の跡を追ひ特攻の精神に生きんとするに於て考慮の余地なし」と記し、彗星43型に搭乗。翻意を促されるも、「武人としての死に場所を与えてくれ」と、その決意は揺らぐことはなかった。特攻隊は合計11機23名、沖縄に向け大分から離陸。宇垣機からは訣別電があり、続いて「敵空母見ユ」「ワレ必中突入ス」を最後に連絡は途絶えた。



7 拉孟・騰越守備隊の敢闘と玉砕  1944(S19)年 9月5日、9月12日
 拉孟・騰越の戦いは、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマの国境付近にある拉孟(保山市竜陵県)・騰越(同市騰衝市)地区で行われた、日本軍と中国国民党軍・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘であり、両地区守備隊共に壮絶な玉砕、散華した。


 金光少佐指揮する拉孟守備隊は雲南軍二個師団を壊滅させるも、遂に猛攻に抗しきれず、最後の時を迎えた。金光少佐は、9月5日第56師団司令部に訣別電報を打電後、群がる雲南軍に突入、玉砕した。訣別電報掌握できず。
 一方、騰越守備隊
 36倍の敵との戦闘中に、連隊長は戦死した。指揮を継承した太田大尉は、勇戦敢闘空しく、残存兵70名となった。太田大尉は、微笑を浮かべてこう呟いたと云う。「愈々、最後の時が来たようだ」と9月12日師団司令部に訣別電報を打電した。その内容以下の如し
 『現状ヨリスルニ、一週間以内ノ持久ハ困難ナルヲ以テ、兵団ノ状況ニ依リテハ、十三日、連隊長ノ命日ヲ期シ、最後ノ突撃ヲ敢行シ、怒江作戦以来ノ鬱憤ヲ晴ラシ、武人ノ最後ヲ飾ラントス。敵火砲ノ絶対火制下ニアリテ、敵ノ傍若無人ヲ甘受スルニ忍ビズ、将兵ノ心情ヲ、諒トセラレタシ』 嗚呼、何と壮絶だろう。

(第四十七話 了)