第四十八話 パーフェクトゲームと称賛されたキスカ島撤退作戦

山下 輝男


 ミッドウェー作戦の支作戦として実行された作戦で、アッツ、キスカの両島は日本軍の占領するところとなった。この両島は、米軍にとって目障りでもあり、米軍は、この両島に対する攻略作戦を開始した。
 1943(S18)年5月12日、米軍はアッツ島(守備隊員約3000名)に上陸、29日には山崎大佐以下の守備隊は玉砕するに至り、キスカ島守備隊陸海計6000名余は孤立することとなった。北方軍司令官の樋口少将は、アッツ島への逆上陸を検討するが、大本営は、5月21日、アリューシャン方面の放棄を決定し、キスカ島守備隊を撤退させることに決した。
 アッツ島守備隊の撤退も提案されたが、陸海軍の調整がつかずに断念、キスカ島撤退に重点志向することとなった。樋口少将は、アッツ島将兵を捨て石にする代わりに、キスカ島将兵の撤退を大本営に約束させたとされる。

第一期作戦
 高速、軽艦艇による夜陰に乗じる撤退作戦は、艦艇消耗もありうるので採用されず、潜水艦による守備隊への補給及び撤退作戦を行うこととなった。陸海軍中央協定も締結され、第5艦隊司令長官は、「ケ」号作戦実施要領を発令した。
 5月27日から事実上の補給・撤退作戦が、敵制空権下で、米軍駆逐艦やパトロール艇の哨戒活動を掻い潜りながら、6月23日まで行われた。 
 撤収人員 陸海軍人、軍属 計872(820)名、楊陸物資 兵器弾薬125トン、糧食 106トン、潜水艦は次々と損傷し、3隻は沈没した。


第二期作戦
 米艦隊との戦闘を回避するため、この地方特有の濃霧に紛れて高速でキスカに突入、迅速に収容・離脱する計画が樹てられた。第5艦隊は、6月24日作戦発動を下令した。
 事前に潜水艦を近海に配置して気象情報を収集させ、且つ電探と逆探を装備した新鋭高速駆逐艦島風を第一水雷戦隊司令官の木村少将の要請で配備した。米艦と誤認させるべく3本煙突の1本を白く塗りつぶして二本マストらしく見せ掛け、また駆逐艦に偽装煙突をつけたりと偽装工作を万全に行った。更に、駆逐艦が集められ、霧中浮標を装備させた。
 作戦は、6月28日発動された。まず、潜水艦11隻が出撃した。水上部隊は、巡洋艦2隻、駆逐艦11隻、補給艦2隻等であった。
 突入予定の12日が霧が晴れたので一旦反転し、決行日を変更した。残念ながら、濃霧に恵まれず、15日一旦突入を諦め幌延への帰投命令を発した。「帰れば、また来られるからな」と言い残しての命令だったという。18日帰投した。
 一旦、帰投した木村少将への批判は凄まじく、轟轟たる非難を浴びた。木村少将は只管濃霧が発生するのを待ち続けた。
 7月22日、幌延の気象台の予報を入手した撤収部隊は再出撃したのである。待ちに待った出撃であったが、気象状況は好転しなかった。濃霧の可能性大との予報があり、29日キスカに突入、守備隊員を大発のピストン輸送により短時間で収容した。収容人員は5183名だった。艦隊は全速離脱、7月31日から8月1日にかけて無事帰投した。
 米軍は、8月5日、蛻の殻のキスカに上陸した。同士討ちによる死者100名と言う。木村少将の反転帰投、樋口少将の兵器海中投棄の決断が奇跡の作戦を成功に導いた。

(第四十八話 了)