第五十三話 統率の外道と知りつつも!

山下 輝男


1 特攻精神の系譜
 決死的・必死的・犠牲的な事例は日本の歴史に多々あるも、大東亜戦争以前でも軍神として顕彰されている。そこには男の美学がある。死ぬべきを知りつつも、大義のために従容として散華していった男の心情は多くの日本人の胸を打たざるはなしである。
 そのような犠牲的な行動を軍の作戦として組織化したのが、大東亜戦争末期に行われた「航空特攻」「水上特攻」等である。本稿は主として航空特攻について記す。



2 統率の外道とは知りつつも
 肉弾攻撃の必要性等について海軍内において幾つかの動きがあり、具申されたが採用には至らなかったが、戦局愈々ただならぬ状況となり、1944(S19)年10月5日、大西瀧治郎中将が第一航空艦隊司令長官に内定した。彼は、「震洋」「回天」「桜花」など海軍が特攻兵器の開発を開始していることも承知しており、航空特攻を採用しようと考えていた。特攻が、統率の外道と認識していた大西の苦悩は深く、軍令部、海軍省と色々とネゴっていた。  
 陸軍でも、1944(S19)年3月、後宮大将が陸軍航空の最高責任者に就任以来、航空特攻が具体し始めた。異論はありつつも、航空機の改修も始まり、部隊編成も為された。


3 特攻作戦の概要等

 10月20日、神風(しんぷう)特別攻撃隊の第一次編成として「敷島」「大和」「朝日」「山桜」の四隊が比島に誕生した。圧倒的な戦力差のなか、栗田艦隊のレイテ湾殴り込みを支援するための特攻だった。斯くして、自発的特攻が、命令による特攻へと大転回し、10月25日、関大尉(海兵70期)率いる「敷島」隊が、レイテ沖海戦に出撃、米護衛空母を撃沈した。当初は大戦果を挙げた特攻であったが、米軍の対応策で突入前に撃墜されるケースが相次いだ。  
 フィリピン戦線に引き続き、硫黄島戦線(御盾隊)、沖縄戦線でも航空特攻が本格化(海軍「菊水作戦」1~10次、陸軍「航空総攻撃」(1~9次))し、戦艦大和以下の水上特攻も敢行するも失敗した。尚、大西中将は8月16日割腹自殺を遂げる。
 特攻の戦果は、諸説あるが、航空特攻で撃沈57隻又は49隻、米軍の特攻損害の公式統計は、「44カ月続いた戦争のわずか10カ月の間にアメリカ軍全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻機(自殺航空機)による成果であった」「アメリカが(特攻により)被った実際の被害は深刻であり、極めて憂慮すべき事態となった」とアメリカ軍の損害が極めて大きかったと総括している。


4 特攻に関わる資料館等は多数あるが、是非とも訪れて、彼等の想いに触れて頂きたいものである。知覧特攻平和会館、靖国神社遊就館、鹿屋航空基地史料館、海自江田島教育参考館、世田谷特攻平和観音等(陸海の特攻隊員の英名四千名奉蔵)


5 「十死零生」の作戦は確かに統率の外道であり、究極の愚策との評もあるが、だが、それ以外に道のなかったことも事実であろう。特攻隊員の遺書に残された殉国、家族への愛は真実だ。特攻隊員の散華は決して無駄死にではないのだ。男の美学を感じるのは小生のみか。勿論、複雑な思いを抱いた者も居たろうが、大半は、純粋だったと確信する。その想いに触れることは現代を生きる我らの務めである。

(第五十三話 了)