第五十四話 本土無差別空襲は戦争犯罪そのものだ!

山下 輝男


 小さい頃聞かされたものだ。「鹿児島も空襲を受けて、両親の知人が亡くなったのだ」と。大東亜戦争末期に行われた日本の各都市に対して行われた長期間の無差別爆撃について概観する。本稿は米軍が行った日本(台湾含む)に対する爆撃を対象とする。


1 ドーリットル空襲
 日米戦の劣勢下で、国民の士気を高める目的を以って、日本本土に対する空爆の計画が承認され、1942(S17)年4月18日、ドーリットル中佐指揮する16機のB25中型爆撃機が、東京、川崎、名古屋、四日市、神戸などを空爆した。長距離爆撃可能な航空機がないので、航空母艦「ホーネット」に搭載して、本州沿岸500マイル地点で発進して空爆を行った。16機中15機が爆弾投下に成功し、爆撃後は大陸に向かった。一機はウラジオストックに向かった。米軍は強弁しているが、この爆撃では軍事目標以外も攻撃対象となった。大陸日本占領地及び日本国内で捕らえられた搭乗員8名は、戦争犯罪人として扱われた。
 日本にとっては奇襲であり、警戒監視体制、防空体制の不備を露呈した。


2 日本本土に対する空爆決定
 1943(S18)年8月、米英首脳のケベック会談で、支那大陸を基地とするB29による爆撃が承認され、四川省成都を基地として、実施することとなり、英・中の飛行場も確保できた。新たに開発された焼夷弾の使用は、人道上問題あるものとの指摘もあったが、真剣に考慮されなかった。


3 支那大陸からの爆撃
 1944(S19)年6月 B29による初の空襲が「八幡製鉄所」を目標に実施された。航続距離の関係上、九州北部しか爆撃できない制約があった。
 空母艦載機によるも断続的に行われた。那覇(10/10)、関東地区(1945/2)


4 マリアナ(サイパン、テニアン、グアム)からの爆撃
 マリアナを攻略すれば、日本の大半が航続距離圏内となるので、大規模な航空基地の建設を急いだ。B-29は全備重量で片道3,000㎞を飛行可能であった。因みに、マリアナ諸島サイパン島から東京まで約2,400㎞、広島市・長崎市まで約2,500㎞である。マリアナ諸島を手中にすることで、本州の大部分がB-29の爆撃可能範囲内に収まるのである。高高度からの正確な爆撃可能なB29は、「銀色の怪鳥」と呼ばれた。

 初空襲は、1944(S19)年11月24日である。レーダー照射による夜間爆撃、焼夷弾による無差別爆撃を行った。硫黄島陥落後は、爆撃機の護衛等も可能となった。尚、1945(S20)年1月20日ルメイ少将が第21爆撃集団司令官に任命された。東京大空襲も原爆投下も彼が司令官時代の所業である。
 (参考までに、ルメイ氏は勲一等旭日大綬章を1964年12/7受章している。但し昭和天皇は親授しなかった。)


5 日本の被害状況
 空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災、被災人口は970万人に及んだ。死者数は、調査団体、研究者、新聞社各紙によって数値のばらつきがあり、最少の約24万から最大の100万人の説が存在する。また、負傷者も30万人程度という説もある。


6 明らかな戦時国際法違反である。しかも意図的な攻撃であり、民間人の大量虐殺は断じて許されざる蛮行であり、厳しく断罪されるべきだろう。


(第五十四話 了)