第五十七話 空の神兵!その栄光と悲劇

山下 輝男


 空の神兵とは、大日本帝国陸軍・海軍の落下傘部隊(空挺部隊・挺進部隊)、落下傘兵(空挺兵・挺進兵)に対する愛称である。尚、同名の戦時歌謡がある。

1 陸軍の場合
 1940(S15)年12月浜松に陸軍飛行学校練習部を創設して、空挺部隊に関する実験・検証を開始し、一年後の1941(S16)年12月1日、陸軍初の空挺部隊第一挺進団(2個挺進連隊(約700名)基幹)が編成・発足した。
 蘭印最大の大油田地帯であるスマトラ島パレンバンを第二挺進連隊(329名)により奇襲し、地上部隊と提携する計画で、1942(S17)年2月14日敢行され、奇襲に成功し、先ず飛行場ついで同市を占領した。油田地帯の爆破は免れ、提携師団もその先遣隊が、15日パレンバンに到着し攻略戦は見事に成功した。
 この時の活躍が「空の神兵」として歌われた。
 陸軍挺進部隊は拡充され、「挺進集団」となり、4個挺進連隊、2個滑空歩兵連隊を擁する大部隊となった。
 航空優勢を喪失し、空挺作戦の実施は厳しくなり、僅かに比島作戦で少数兵力の空挺降下を行ったのみである。
 1945(S20)年5月24日、選抜将兵で編成された義烈空挺隊が、健軍から出撃、連合軍に占領されていた沖縄の嘉手納飛行場と読谷飛行場に強行攻撃を行った。飛行場機能に一定の打撃を与えることには成功したものの、後続が続かず空挺部隊は全滅した。


2 海軍の場合
 各鎮守府の常設の陸戦隊の幾つかをパラシュート部隊とすることとし、先ず、1941(S16)年9月に横須賀鎮守府第一特別陸戦隊、11月に第三特別陸戦隊が編成された。
 第一特別陸戦隊は、1942年1月にメナド降下作戦を行ったが、直上降下となった為予想を超える損害となったものの、一応成功した。本作戦は、陸軍のパレンバン攻略に先立つもので、日本軍として初めての空挺降下作戦であった。が、パレンバン空挺作戦に比べて小規模であった事と陸軍との軋轢を避ける為に発表が遅らされた。
 第三特別陸戦隊がチモール島に降下したが、苦戦した。爾後は航空優勢なく出撃に機会がなかった。
 第一特別陸戦隊は、サイパン島で地上部隊として敢闘するも全滅した。


3 統合空挺作戦「剣号作戦」の計画
 マリアナ諸島のアメリカ軍基地に対する空挺攻撃が計画された。当初は海軍陸戦隊250人が乗った航空機を強行着陸させB-29爆撃機を破壊する計画であったが、後に原子爆弾の制圧も目標に加えられ、陸軍空挺部隊300人も参加することになった。使用予定の航空機がアメリカ軍機動部隊の空襲で破壊されたため延期となり、発動直前に終戦の日を迎えて中止となった。


4 空の神兵歌詞(1番) 作詩 梅本三郎  作曲 高木東六
藍より蒼き 大空に大空に  忽(たちま)ち開く 百千の 真白き薔薇の 花模様
見よ落下傘 空に降り 見よ落下傘 空を征(ゆ)く 見よ落下傘 空を征く

(第五十七話 了)