第六十一話 知られざる壮大なる夢と頓挫

山下 輝男


 中国の一帯一路が最近色々と取り沙汰されているが、大東亜共栄圏の骨幹交通路を完整しようと云う壮大な計画があったことをご存知だろうか?その壮大な夢が「大東亜縦貫鉄道」であり、その一部が、所謂泰緬鉄道(映画「戦場にかける橋」(「クウェー川」鉄橋)で有名)等である。本話ではそれらを簡単に紹介しよう。
1 大東亜縦貫鉄道
 仏印進駐(1941/7)、真珠湾攻撃(1941/12)後、大東亜共栄圏構想の具体化を交通分野においても検討すべく「東亜交通学会」が設立された。今日の新幹線に繋がる弾丸列車計画、これと連接する朝鮮半島から満州鉄道(満鉄)・華北鉄道・華中鉄道更にアジア全域へ拡大するという壮大な計画が打ち出された。1942(S17)年8月の閣議で東及び東南アジアの交通政策や縦貫鉄道の建設計画を検討する「大東亜建設審議会」の設立が決定した。日本と朝鮮半島とを連接する「朝鮮海峡トンネル」も開削の検討がなされた。
 戦争目的の一つである大東亜共栄圏は、単なるスローガンではなかったことの証左だ。残念ながら、日本の敗戦によって、日本版一帯一路構想は頓挫したのであるが、一部においては完成したものがあり、それらを次項以降に記す。
 縦貫鉄道に対して、横断鉄道なくしては不完全だが、実は大東亜縦貫鉄道計画に先立ち、中央アジア地域を横断して、テヘラン、バクダッドに至り、バクダッド鉄道に連接せんとする「中央アジア横断鉄道」(総距離7500㎞、予算12億円)なるものがあった。


2 泰緬鉄道(第二縦貫鉄道群の一部)

 タイのバンコクからミャンマーのヤンゴンを結ぶ鉄道路線である。英国が敷設を計画していたが地形複雑で断念した経緯がある。日本軍が、海上輸送の危険回避及びビルマ戦線の物資輸送のルート確保の為に軍用目的で建設したものである。
 ビルマ、タイの双方から、1942年6月下旬及び7月上旬に建設開始した。建設作業に従事したのは、日本軍12000人、連合国捕虜62000人、「ロウムシャ」と呼ばれた労働者30万以上(正確な数字は不明)であり、工作機械不足、劣悪な環境・突貫工事等過酷な労働で栄養失調やマラリア等の病気により死亡した者が莫大な数と云われる。約半数が死亡したとの指摘もある。多数の犠牲のもと、5年要すると云われた建設だが、1年半で完成(1943/10)した。橋は連合軍の爆撃破壊と修復との正に鼬ごっこだった。
 戦後、国境付近の鉄道は英軍から撤去を命じられた。建設に任じた鉄道連隊や捕虜収容所関係者は、B・C級戦犯として処刑された。


3 スマトラ横断鉄道
 何故か、建設目的が判然としていない。工事の全長は220㎞、日本企業等によるJVが請け負った。のち陸軍鉄道連隊、特設鉄道隊(国鉄職員等が軍属となった。)、民間建設業者、所謂ロウムシャや連合軍捕虜が建設工事に従事した。工事用機械なく人海戦術だった。捕虜やロウムシャ多数が犠牲となったのは泰緬鉄道と同じである。


4 クラ地峡横断鉄道
 タイ・マレー半島のクラ地峡(最狭部44km)を横断する鉄道。鉄道と船舶の連携により、ビルマ方面作戦所要の物資輸送を企図した。英国が計画するも断念した経緯あり。1943(S18)年5月、日・タイ両政府鉄道建設合意、6月建設開始、12月25日開通式。
 これらは、軍の作戦目的に合致した鉄道建設であったが、大東亜共栄圏にも合致した面もある。ただ、その建設作業間に多数の痛ましい犠牲者を出したことは残念である。


(第六十一話 了)