第六十二話 悪名高き「虜囚の辱め」の戦陣訓の功罪は

山下 輝男


 日本将兵特に陸軍将兵が捕虜となることを肯じえず敢えて玉砕、万歳突撃を敢行したのは、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」が徹底されていたからであり、その戦陣訓はあの東條さんが指示したものであると実しやかに理解されている。思い込みを排し、冷静に考察するべきだ。                          

1 戦陣訓の起草・示達とその徹底

 岩畔豪雄が、支那事変における軍紀紊乱対策として、軍人勅諭を補足した訓示を提案したところ、陸軍大臣、教育総監の承認を得て、教育総監部が作成を推進した。国体観・死生観に当時の著名な哲学者達が、文体校閲には有名が学者・作家・詩人等が参画し、島崎藤村が「戦陣訓」を校閲した。
 戦陣訓起草の背景・目的は、日中戦争での軍紀紊乱への対策であった。当初は簡潔な内容とする方向であったが、各方面からの意見を取り入れた結果、古典的な精神主義が前面に出たもので、当初の岩畔豪雄の意図とは異なっていた。
 起草作業は長引き、東条陸相の時に完成し、1941(S16)年1月7日に上奏、翌8日の陸軍始の観兵式において、「陸訓第一号」として全軍に示達した。
 マスコミは大々的に取り上げ、陸軍省は軍隊手帳に掲載するなど全兵士への徹底を図った。幾多の解説書、教材が出版、歌謡化(「戦陣訓の歌」)も為された。



2 構成等
 戦陣訓は、「序」「本訓」「結」からなり、本訓は「其の一」から「其の三」に分かれている。其の一は、皇国、皇軍、皇紀、団結、協同、攻撃精神、必勝の精神 其の二は、敬神、孝道、敬礼挙措、戦友道、率先躬行、責任、死生観、名を惜しむ、質実剛健、清廉潔白 其の三は、戦陣の戒、戦陣の嗜 となっている。悪名高い虜囚云々は、「名を惜しむ」の一節であり、その全文は、「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」である。これを捕虜禁止命令と解するべきなのか?



3 功罪について
 アッツ島玉砕、そしてサイパン以降各島嶼と玉砕が相次いだが、これらを戦陣訓の呪縛とのみ理解すべきなのだろうか?自己陶酔的な空気、ある種の美学を称揚する風潮の中で、この不合理極まりない軍事行為が正当化されていったとの指摘もある。アッツ島玉砕を報じる新聞が、生きた戦陣訓がまざまざとここにあると美談化した事実はある。
 軍内での戦陣訓の取り扱いも多様であり、虜囚の項が特段強調された訳ではないようだ。
 「戦陣の戒」の項には、挑発・押収は指揮官の命による、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし、武人の清節を汚さず云々ともあり、特定の一節のみを殊更に論い強調しすぎる嫌いがあると思われる。
 軍法には、捕虜となることを禁じる規定はなく、被捕虜者を処罰する規定もない。
 ただ、本戦陣訓が悪用され、自決を強要されたり、スパイ容疑を掛けられたりといった事例はあった由。
 戦陣訓自体は、軍人・武人の心構え・処世訓を訴える真っ当な内容であり、殊更に異とするに足りないものだ。要は、その運用・解釈の問題であり、責任は戦陣訓の一節に帰せるべきではない。
 日本軍が、戦時国際法に関する教育にかなり無頓着であったことは事実であり、捕虜についての知識が無かったのは大きな不幸であった。

(第六十二話 了)