第六十三話 国家緊急時のリーダーに求められるもの(近衛首相を見て)

山下 輝男


 大東亜戦争間を通じて、三次にわたって内閣を率いた近衛文麿の功罪を明らかにすることは非常時における国家的リーダーを考えるうえで益なきことではないと信じる。三次5年近い総理大臣在任間の重大な局面に如何なる判断をしたのか?

1 衆望を一身に担った近衛文麿

 五摂家筆頭近衛家という出自、若さ、容姿、爽やかな弁舌、そして所謂革新勢力と云われる官僚、軍人、外交官、華族、政治家、思想家・知識人の輿望を担っての登場であった。近衛の基本姿勢は、氏の論文「英米本位の平和主義を排す」で示されている「反英米依存主義」「反資本主義」「反自由主義」であるとされる。
 近衛を核とする新体制運動には様々な革新勢力の理想や思惑が混然となっていた。近衛の私的ブレーン「昭和研究会」、官僚中心の「国策研究会」、「国維会」などの革新派の集団が生まれた。北一輝や大川周明等が大きな影響を与えた。



2 第一次近衛内閣(1937/6/6~1939/1/5)
(1)盧溝橋事件(1937/7/7)における陸軍の増派決定閣議
(2)政府声明(1937/8/15)「暴支膺懲」(不拡大方針の転換?)
(3)第一次近衛声明(1938/1/16)「国民政府を対手にせず」(トラウトマン和平工作の打切り)
(4)第二次近衛声明(1938/11/3)「東亜新秩序建設声明」(大東亜共栄圏構想の萌芽)
(5)第三次近衛声明(1938/12/22)「近衛三原則」(善隣友好、共同防共、経済提携)
但し、日中で署名調印「日華協議記録」中の「日本軍の2年以内の撤兵」が欠落しており、国民政府の反対で和平の目は潰れた。

(6)内閣改造断行 板垣征四郎陸相、宇垣一成外相、荒木貞夫文相 
強硬派東条英機が陸軍省次官に   政府内の対立が深まり宇垣辞任
近衛は無力感を募らせ→1939/1/5内閣総辞職




3 第二次近衛内閣(1940/7/22~1941/7/16)
(1)基本国策要綱閣議決定(1940/7/27)大東亜新秩序建設を国是、国防国家の完成
(2)日独伊三国同盟締結(1940/9/27)
(3)大政翼賛会の結成(1940/10/12)
(4)松岡外相外し目的での内閣総辞職(1941/7/16)



4 第三次近衛内閣(1941/7/18~1941/10/16)
(1)仏印進駐に伴う米国の日本締め付け激化
(2)帝国国策遂行要領決定(1941/9/6)外交手段尽くすも戦争決意
及川海相は近衛督励するも勝算なきを公言せず、東条陸相は陸軍を代表して強硬論

(3)米大統領との首脳会談を模索するも目論見外れ
(4)対米譲歩案に関する東条陸相説得不調
(5)ゾルゲ事件:近衛の側近尾崎秀美逮捕(1941/10/14)公も関与疑われ、退陣不可避と
指導力を発揮しようにもし得ない日本のシステムにも問題があるが、それにして何とかならなかったのかと残念でもある。優柔不断で、平時の能吏ではあっても、乱世の雄たりえない。悲劇の宰相とも云える。だが、そう言ってすまされる問題でもない。


 難局に対する不動の信念を堅持して邁進すれば道は開けたのではないのかと考えるのは後知恵か?更には、如何にして国家緊急事態に対応し得るリーダーを得るか、養成・育成するかが問われている。国家的課題だと愚考する。

(第六十三話 了)