第六十五話 大本営発表(戦況発表)は難しい!

山下 輝男


 大本営発表とは、1937年11月から1945年8月までの期間、日本の大本営が行った戦況の公式発表である。軍部の独善・欺瞞の象徴ともなり、現代では、権力者による信用できない情報を批判する慣用句としても使われている。

1 大本営発表への改称
 もともとは、陸海軍合同の「大本営陸海軍部発表」、陸軍単独の「大本営陸軍部発表」、海軍単独の「大本営海軍部発表」に分かれていたが、1942(S17)年1月に統合され「大本営発表」に改称された。


2 発表回数とその質的区分
 有名な第一号(「・・帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」)の発表以来、終戦まで実に846回に及んだ。
 ある識者の分類によれば、
・初期(日米戦の当初の半年間):ほぼ正確な発表
・珊瑚海海戦(1942/5)からイサベル島沖海戦(ガ島撤退作戦中の海戦):戦果が誇張
・ガ島撤退(1943/2)後:戦況悪化の為発表自体が少し
・次の八か月:架空の勝利  と分けられるという。




3 論点
① 戦艦「43:4」、空母「84:11」これは大本営発表と実際の戦果を示している。前の数字が大本営発表、後の数字が実際の戦果を示す。意図する、せざるに関わらず、この懸隔さには驚きだ。これでは真面な戦争指導は出来ぬ。正しい判断には、正しい戦況把握が必須だ。

② 世紀の大誤報 台湾沖航空戦(1944/10/19)
  米空母19隻、戦艦4隻など計45隻と発表するも戦果はゼロ
 搭乗員の練度低下もあって、意図せざる大戦果となって国民を狂喜させた。実際は大惨敗だった。曖昧報告を都合よく解釈、誤報を鵜呑みにした上級司令部にも責任
大本営海軍部による大戦果誤認との再判定は、20日に開かれたフィリピン決戦に向けた陸海軍合同の作戦会議においても陸軍側に伝達されなかった。戦争指導レベルでの情報
の共有は必須である。天皇からは御嘉祥の勅語があったのだが。更に言えば、本来ならば国会の関与という観点での国会の秘密会等での報告も今後の課題かなと思料。 


③ 統帥部内の情報共有不十分 ミッドウェー海戦(1942/6)の惨敗
  実際の被害は、空母4隻、艦載機280機を失うも、被害内容を1隻喪失、1隻大破と
 過小報道。開戦以来初の大敗北の発表内容を巡り、海軍軍令部・海軍省内で調整難航
 また、敗北に関しては軍内においても情報統制がなされた。


④ “負け戦を如何に伝えるか?”負けを認めたくない、責任をとりたくない、上司の意図の忖度との指摘もあるが…「転進」と言い換えて糊塗すれば足りるか?

⑤ 言論統制とメディアの甘受
1938年の国家総動員法によりメディアは事実上軍の下部組織となった。用紙統制が強力な道具、1940年発足の情報局による一元的統制
それに従わざるを得なかったメディアなのだが・・
嘘と解っていても報道した責任も問われるのだろう。


⑥ 真実報道と国民の鼓舞・戦意高揚を如何に律するべきか?
軍機・軍事上の秘密保持と国民の知る権利の節調


⑦ 虚報に踊ったと知れば、統帥部不信も増幅する。政府もメディアも納得する報道協定とは、如何なるものか。特に苦戦の場合には難しいだろう。


(第六十五話 了)