第六十九話 沖縄県民斯く戦えり

山下 輝男


1 沖縄戦概要
 米軍の侵攻に対して、日本は本土防衛の最後の拠点として1944(S19)年3月、牛島中将指揮する第32軍を沖縄に編成配置した。戦略的持久方針の下本島南部に主力を配置した。
 一方米軍は、本土攻撃の拠点を硫黄島・沖縄と定め、1944(S19)年10月には沖縄攻略を正式に決め(アイスバーグ作戦)、同年10月10日、まず沖縄本島に大規模な空襲を行なった。3月26日慶良間列島に上陸した米軍は、4月1日に1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員をもって沖縄本島に上陸を開始した。
 この沖縄での戦闘は、6月23日未明に第32軍の牛島司令官と長参謀長が自決したことにより、組織的戦闘は終結した。が、南西諸島守備軍代表が降伏文書に調印したのは、9月7日である。
 この約3~5ヶ月の間の戦闘で亡くなった日本兵及び一般住民は、一般住民約10万人を含め約20数万人といわれる。


2 沖縄戦における県民の貢献
(1)軍と沖縄県は、住民は県外、已むをえざれば北部地域に疎開させることとしたが、軍と共に行動する方が安心との意識も手伝って、十分に疎開が出来なかった。為に、非戦闘員たる県民の被害も想像を絶するものとなった。

(2)一個師団が抽出され、兵力も防御再配備により準備も不足するということで、沖縄県民の徴用が行われた。「軍民一体の戦闘協力」のスローガンの下、飛行場建設や陣地構築などに従事した。国民徴用令や国民勤労報国協力令(1945年3月以降は国民勤労動員令)に基づいて政府が国民を徴用して工場労働や農作業などに従事させる制度があり、これらの制度が根拠とされた。男女を問わず動員されたほか、対象年齢外の老人や国民学校の児童らも「自主参加」の形で作業に従事した。

(3)戦闘員としての動員
防衛隊
・在郷軍人会による義勇隊
・防衛招集によるもの:一般陸海軍部隊配属、特設警備隊、遊撃隊等 2.5万人

学徒隊 旧制中学校生(男子)による鉄血勤皇隊 1780名
   (代用従軍看護婦)ひめゆり学徒隊、白梅学徒隊  法的根拠なく志願形式


(4)その他住民の自発的戦闘参加の例もあった。

(5)最後に太田実海軍少将の海軍次官あての電報の一部を引用するが、県民への感謝の真情が溢れている。『(県民の各種活動状況を述べた後に続けて)これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。』
・ 総力戦が今後も続くのならば、どうすべきか?自主志願者が陸続と期待したいが・・
・ 戦時における避難の困難性を改めて感じる。国民保護法が施行されて制度化されたとはいえ、現実問題としては課題山積だ。




(第六十九話 了)