第七十話 部隊栄光の象徴、軍旗

山下 輝男


 個人的な話で恐縮だが、小生の原隊は神町(山形県)第20普通科連隊である。山形県の郷土部隊は霞城(山形城)連隊第32歩兵連隊である。32連隊と云えば、沖縄戦において、6月23日の第32軍の組織的戦闘終了後も戦闘を継続していた。8月22日米軍軍使と接触し終戦を確認したる後、米軍に投降する前日の23日に、生存将兵約50名が敬礼する中、軍旗を奉焼した連隊として有名である。軍旗はこれほどのものであり、明治健軍以来話題には事欠かない。本稿では軍旗の奉焼についてみてみたい。

1 軍旗とは、軍隊(特に陸軍)及び軍隊内の部隊を表章する旗章。近代的陸軍の登場以降は伝統的に連隊(聯隊)を恒久の基本的部隊単位としてきたことから、連隊ごとに授与されるものは特に連隊旗(聯隊旗)とも称される。
  帝国陸軍は、先駆けて旭日旗を考案・採用し、「軍旗」として制定した。意匠は国旗である日章旗に準じ日章は中心に位置し、十六条の光線(旭光)を放つ。なお、海軍はその陸軍に遅れること19年後の1889年(明治22年)、(陸軍の)「軍旗」に倣い旭日旗を「軍艦旗」として制定した(日章位置は旗竿側に寄る)。




2 取扱い等
(1)天皇陛下から親授され、神聖なものとされた。敵に絶対奪取されてはならない。
(2)明治12年 太政官布告により軍旗が定められた 歩兵に比して騎・砲の旗はやや小振り
(3)軍旗に対する敬礼 「足曳」が制定、吹奏された。
(4)連隊における栄光の象徴 連隊旗手に抜擢されるのは名誉 軍旗衛兵
(5)軍旗の敬礼:天皇に対する時及び拝神の場合に限り敬礼を行うものとされ
(6)軍旗に対する敬礼:抜刀将校や武装下士官兵の軍旗に対する敬礼は天皇に対する敬礼に同じであり、抜刀将校は刀の礼、武装下士官兵は捧銃・捧刀の礼を行う。室内においては、拝礼する。軍旗に行き遇いまたはその傍を通過する者は、行進間においては停止し、乗馬者は乗馬のまま、乗車者は乗車のまま軍旗に面して敬礼を行う。この敬礼は連隊長や連隊旗手ではなく、飽くまで軍旗に対してである。


3 軍旗奉焼
 軍旗は戦闘において連隊が壊滅間際・玉砕直前(連隊の最期)になった際は連隊長や旗手の手により奉焼された。終戦時には各連隊に対し陸軍大臣より奉焼命令が出され、軍旗奉焼式を経てごく一部を除き全てが焼失し、灰や燃え残った旗・竿頭破片も土中に埋没ないし河川に流され処理された。これは天皇の分身である軍旗を敵の手に渡すことを避けたためである。
 大東亜戦争期間中に万止むを得ず、奉焼された軍旗は以下の通りである。
1939年:歩兵第64連隊、歩兵第71連隊、
1942年:歩兵第170連隊、歩兵第28連隊、歩兵第29連隊
1944年:歩兵第210連隊、歩兵第118連隊、歩兵第135連隊、歩兵第136連隊
      歩兵第38連隊、歩兵第18連隊、歩兵第50連隊、歩兵第33連隊
      歩兵第9連隊、歩兵第20連隊、歩兵第2連隊、歩兵113連隊
1945年:歩兵第145連隊、歩兵第22連隊、歩兵第89連隊、
 次の連隊は8月15日以降 歩兵第278連隊、歩兵第32連隊、歩兵第6連隊、歩兵第10連隊、      以上24個連隊


4 歩兵第321連隊旗は、完全な形で現存する唯一のもので、靖国神社遊就館に特別展示

(第七十話 了)