第七十四話 建国と友好に寄与した被留用日本人

山下 輝男


 戦後処理の重要な事業の一つは、在外邦人の帰還事業である。シベリア抑留以外に敗戦後大陸残留邦人が、留用され、中国建設に協力させられた事実が忘れられている。留用」とは「一定期間留めて任用する」という意味の中国語である。それに至る経緯と実態を管見する。

1 復員・引揚げ政策の混迷等
 軍人は、ポッダム宣言9項に基づき、復員することとなっていたが、先ず武装解除と降伏文書調印が必要であり、中国の場合は南京で降伏調印がなされ、100万を超える日本軍人は帰還までの間各種労務に従事しながら待機した。尚、指揮系統は維持された。
 一方、350万を超える在外一般邦人(中国49万、満州155万、台湾34万、関東州22万)には、連合国の命令なく、混迷した。政府は、600万人もの引揚者による国内の混乱を恐れ、敗戦と同時に、原則として、海外在留者を「現地定住」させる方針であった。これには、蒋介石の「以徳報怨」演説(1945/8/15)が影響した。然し、米中の送還責任者は、日本人の長期定住を懸念するようになった。日本の影響力の維持を恐れる米、日本人を排除すべきだor財政負担を懸念する中国の考えがあり、定住方針は事実上挫折したのである。
 居留民の早期返還の一方、技術者や医療関係者の「留用」が国民政府によって強く望まれた。日本資産の接収のみならず、技術力をも建国に活用しようと画策した。
 連合国の全ての日本人引揚げ決定はあったが、中国の強い要望で日本人技術者に限り残留が許されることとなった。


2 留用者数等
 台湾:台湾経済を考慮して、家族を含む2.7万人 
国民党又は共産党に留用された数は資料により区々である。

・旧満州:1万6700人余り、
・旧厚生省発行の「援護50年史」:中国共産党側だけで留用者は「家族を含め3万5千人は下らないと推定」
・国民党が留用した日本人は約4万5千人。
・共産党側の統計(東北地方のみ):武器を作る部署に約千人、衛生部に約7千人、鉄道や工場に計約3千人など、少なくとも計約2万3千人を留用

*事例:鞍山製鉄所、満映、八田與一(台湾の烏山頭ダム)、中国紡織機製造公司



3 特異な事例

(1)国民党系の閻錫山の勧めに従い、山西省日本軍第1軍の多くの将兵が除隊、軍に合流
(2)元関東軍第四錬成飛行隊の林弥一郎少佐とその部下は、共産党軍の空軍創設養成受諾



4 留用者の状況
 被留用者は、日中友好・中国民衆の福利に寄与、日本の海外発展の礎と純粋に信じていた。雇用企業との関係も友好的で、望郷の思いは別として、殆ど問題なかったようだ。好意的に受け止めている被留用者が多い。中には過酷な環境での勤務もあった。


5 日赤による被留用日本人帰国活動
 前述の林少佐の帰還が認められず、また被留用者の日本帰還の心情を察した日赤は帰国に向けての活動を起こした。1953年3月から1958年まで帰国事業が続いたが、留用日本人のうち200人が内戦や事故で帰らぬ人となっていた。
 *被留用者の純粋な心情には頭が下がる。留用によって発展した国こそ、この歴史を知るべきだろう。台湾では八田與一氏(写真)は感謝されている。

(第七十四話 了)