第七十六話 国家分断の危機に直面

山下 輝男


 連合国が日本を占領するに当たり、検討したのは、日本占領の形式とその後の統治体制であった。即ち、日本を米軍の単独占領とするか、或いは、多数国による分割占領かであり、統治方式についても直接統治にするかそれとも現存する日本政府を通じる間接統治とするかであった。勿論、分割占領は分割統治に繋がる可能性も高いので、そこまで視野に入れての検討であったと思われる。

1 日本占領計画決定経緯等
(1)分割占領案の決定
 米国の統合戦争計画委員会 (JWPC) の日本領土に対する最終的占領案である政策文書 385/1で は、日本を5つの地域に分割して統治する分割占領案を勧告していた。
 1945年8月11日に米国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC)が承認し、8月18日にトルーマン大統領が承認した大統領宛覚書「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」(SWNCC 70/5) では連合国による分割占領案が記載されており、米、英、中華民国、そしてソ連も日本の軍事占領に貢献する必要があるとされていた。
 米軍負担の軽減化のため、連合国による日本共同占領案が高まり、日本降伏の翌8月16日に、ペンタゴンの統合戦争計画委員会(JWPC)が起案した日本占領案「日本とその領土の最終占領計画(JWPC385/1)が成立した。
 それによれば、占領開始期は、米国が単独で占領せざるを得ず、二十三個師団・八十五万人の米軍を投入する。組織的抵抗、反乱のため一年間は維持する。
 三ヶ月目からは、米軍を撤収させ、各国軍に占領させる。

 ソ連:北海道、東北地方。
 アメリカ:本州中央、関東、信越、東海、北陸、近畿 中華民国:四国。
 イギリス:西日本(中国、九州)
 東京は四カ国共同占領。
 ソ連の北海道占領要求を拒否したトルーマン大統領は、8月18日、スターリンの要求を拒否し、分割占領を回避することを勧告する国務省案を承認したのである。

(2)分割占領の回避と間接統治の決定
 当初は、アメリカ国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC)の勧告「間接統治案」(1945/6)とマッカーサー司令部の「直接統治」案(1945/8)があった。
 分割占領を回避したトルーマン大統領は、8月22日、日本政府を介した間接統治方式を最終的に承認した。9月6日、「初期対日方針」 で間接方式確定。


2 サンフランシスコ講和条約の締結
 ソ連は、中国が参加していないことなどを理由に講和条約に調印しなかった。分割占領(統治)が認められなかったからだろう。恐るべき執念だ。当時のセイロンの代表ジャヤワルダナの感動的な国連演説が、分割統治から日本を救ったとも言われている。


3 英連邦軍の日本占領と撤収
 1946年2月に日本進駐を開始し、直ちに中国地方および四国地方の占領任務を、1945年9月より同地に進駐していた米軍から引き継いだ。朝鮮戦争もあり、日本との協定により1956年迄駐留した。

 正に、日本は分割占領・統治の可能性が有ったのである。危機一髪。国家・民族の分断の悲劇を被ることなく日本は幸せだったと云えよう。

(第七十六話 了)