第八十話 帝国陸軍の悪弊:独断専行・下克上・幕僚統帥そして政治化

山下 輝男


 大東亜戦に至るまでの陸軍特に関東軍の独断専行等の事例は、以下の通りであるが、このような独断専行や下克上とも言うべき行為によって陸軍内に、現代感覚で云えば、異様な体質が醸成されていったと思われる。

① 張作霖爆殺事件
1928(S3)年6月4日奉天近郊で北方軍閥の張作霖が爆殺された。関関東軍高級参謀 河本大作大佐の首謀の下決行、田中内閣総辞職、関係者の処分なし
関東軍司令部ぐるみor河本大佐独断かは明確ではないが、政府方針に反するは確実


② 柳条湖事件(満州事変の発端)
 1931(S6)年9月18日関東軍板垣大佐及び石原中佐首謀により奉天郊外の柳条湖付近の南満洲鉄道線路を爆破、高級参謀板垣大佐は独断で攻撃を命じた。石原は、武力発動を逡巡する軍司令官に決心を迫る。朝鮮軍司令官は、関東軍救援のため、天皇の裁可を待たずに独断で隷下部隊を越境させた。朝鮮軍司令官の責任は有耶無耶のうちに霧消。
この後、関東軍は陸軍中央のみならず政府の指示をも無視して軍を進め、満州国樹立へと進んだ。


③ この後も、現地軍は中央の指示を無視して突出行動を行う。
 特に華北分離工作は問題。司令官不在間に梅津・何応欽協定(1935/6/10)を締結。司令官も陸軍中央も驚愕すれども、追認してしまった。 

* これらの独断専行、下克上、上級司令部の命令・指示の無視に対して、その立役者の責任は問われることもなく、どちらかというと称賛をもって報われた。一時的に左遷されることはあっても何時しか返り咲いているのだ。
 悪しき前例と云わねばなるまい。上級司令部も突出行動を追認し、政府までもが容認するに至っては何をか況やである。
 また、結果良ければ全てが許されるとの雰囲気が醸成されていったのだろう。
* 身内を庇う意識も強く、対外的威信低下につながる恐れもあり、何とか穏便に処置したかったのだろう。また、組織内には時に過激な意見・主張が跋扈することがあるが、それらを黙認してはならない。
* 確かに作戦要務令等では独断専行が許容もされ、状況によっての独断は推奨もされているが、飽くまでも上級指揮官の意図の範囲内であり、且つ命令等を受ける暇のない場合である。大部隊では絶無とは云わないが、そのような状況は滅多に起こるものではない。都合よい解釈の極みだろう。
* これらの前例を通じ、陸軍は政治的な行動を独断で実行する。国家の運命を担うとの気概は諒とするも、政治のコントロ-ルの埒外の活動は決して許されぬことだ。陸軍の政治化は、国内政治においても随所にみられる。本来、軍人勅諭で政治に関与すべからずとされていたにも拘らずに、政治化していったのは残念の極みである。
* いくら有能・優秀であったとしても、幕僚たるの矩を越えてはならないし、超えた場合には指揮官が断固たる処置をすべきだが、そこに温情・身内意識が顕れて曲がる。
* 政治のリーダーシップに問題があるとの論もある。それは一面において真実かもしれない。首相や大臣のリーダーシップの問題と共に、議会の責任もない訳ではない。
 明治期の陸軍では斯かる越権・不法行為は起きていない。何故、変質してしまったのか?

 この悪しき伝統は大東亜戦争間を通じて、随所において見られた。辻正信参謀の如きはその典型だと云われる。また前話「第二次上海事変」後の第10軍の独断南京への追撃もそうだ。蛇足ながら、現在の陸上自衛隊ではかかる行為は起こり得ないと断言する。



(第八十話 了)