第八十六話 知られざる二度にわたる米本土空襲

山下 輝男


 米国建国以来、現在に至るまで、米本土が空襲されたのは大東亜戦争間における日本陸軍の気球爆弾と海軍による空襲のみである。日本軍の発想力・具体化力・技術力をもっと誇っても良いのだろう。気球爆弾は第八十三話で取り上げたので、本話では海軍艦載機による米本土空襲を取り上げる。


1 経緯
(1)潜水艦による通商破壊と製油所等への砲撃
 日米開戦直後の12月末頃、10隻ほどの潜水艦を米西海岸に展開させ、複数都市を砲撃する計画があったが、X’MAS前後の砲撃は過度に刺激するとのことで中止になった。この潜水艦は、通商破壊作戦を活発に実施して米タンカー等10隻以上を撃沈し、1942(S17)年2月には、カルフォルニアサンタバーバラの製油所を砲撃し、陸軍基地まで砲撃(21日)した。被害は軽微だが、負傷した兵士もいる。
 これらの攻撃は、各地で日本軍が連戦連勝を続けていることもあって、米市民はもとより政府にも日本軍の本土上陸を予想させ、パニック状態になった。日本軍と誤認しての対空射撃事件もあり、米軍は体制強化を図り、ロッキー山脈で日本軍を阻止する計画まで検討したという。港湾施設の防備強化・灯火管制の実施、学童疎開の検討

(2)米軍の対抗策と日本の更なる対抗策
 米海軍は、国民の士気低下を危惧し、日本本土への空襲を計画実行(1942(S17)4月)した。これが史上初の日本本土空襲(ドーリットル空襲)を行い、国民の士気を鼓舞し、日本に一矢を報いた。
(3)海軍軍令部の本土空襲決定
 面目を潰された帝国海軍軍令部は、巡潜乙型潜水艦「伊号第二五潜水艦」に搭載されている零式小型水上偵察機によるアメリカ本土への空襲を計画した。目標は、都市部を避け、山火事発生延焼効果によるインフラや生産施設へのダメージを与える。水上偵察機は焼夷弾搭載可能なように改装された。


2 空襲の実施
(1)1回目の空襲
 「伊25」は、8月15日に再び横須賀港を出港。太平洋を北上し、アリューシャン列島をかすめて9月7日にオレゴン州沖に到着した。天候の回復を待つべくオレゴン州の沖合で2日待機した後、9月9日の深夜に空襲を決意し、零式小型水上偵察機は76キロ焼夷弾2個を積んで「伊25」を飛び立った。計画通りの森林部に2個の焼夷弾を投下し、森林部を延焼させた。同機は発見されることなく帰投した。

(2)2回目の空襲
 米陸軍の太平洋沿岸部の警戒強化を受けて、すぐに2回目の空襲は行われず、2回目の空襲は20日後の9月29日の真夜中に行われた。同じく計画通りに76キロ爆弾2個を再びオレゴン州オーフォード近郊の森林部に投下、森林部を延焼させ、「伊25」へ戻った。
 2回とも人命への被害はなかった。シンボル的空襲であり、被害は少なかった。
「伊25」号は25日横須賀に帰投した。


3 効果
 米国は報道管制、警戒強化、シェルターや防空壕の設置、学童疎開の検討

*  何とも大胆な作戦である。米国の慌て様には驚かされる。想定外・予想外事態への強靭性の涵養が必要か。作戦の要否については議論のあるところと愚考。

(第八十六話 了)