第八十八話 学校教練の要否は

山下 輝男


 学校教練と云えば、両親の話などから、何となく大東亜戦争時代のことだとばかり思いこんでいたが、調べてみるとそれ以前から行われてもおり、また日本独自の制度でもないようだ。簡単に説明しよう。

1 経緯
・1886(M19)年、文部大臣森有礼の提唱によって学校に兵式体操が採用
(本来の精神とは乖離し、形式に流れ、神髄が失われかけていた。)
・1913(T12)年 「学校体操教授要目」制定
(陸軍省の要望により、学校体操は兵式体操に統一、下士官をもって学校体操要員を育成することを要望し、それを受けたものである。)
・1925(T14)年)4月11日、「陸軍現役将校学校配属令」が公布
(第一次世界大戦が勃発し、各国で国民教練の機運が高まり、日本においても国民の心身を発達させ、資質を向上させ、国力の根幹を養い、国運を隆盛し、その基礎を固くすることが必要であると叫ばれ、まずは学校における教練をより振作し、体育を促進し、徳育に裨益し、国防能力を増進することが図られ、現役将校を配属させることとなった。(現役将校の配属以前は、退役下士官が教練を担当していた。)
・1938(S13)年 文部省では操縦士の早期育成策
(男子中等学校での滑空部の設立と滑空訓練を推奨、指導のため教官が軍から派遣された。訓練で適性が認められた者は少年航空兵へ推薦された。)
・1939(S14)年3月 文部省、大学における軍事教練を必修とすることに決定、通達
・1939(S14)年 3月  国民学校令公布
(学校を国民学校と改称し、教科を国民科・理数科・体練科・芸能科に統合、1944年度より義務教育 8年制を実施 女子の軍事教練)
・1943(S18)年10月 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」が閣議決定
(教育内容の徹底的刷新と能率化、国防訓練の強化、勤労動員の積極かつ徹底的実施の三点を指示)
・1945(S20)年5月 戦時教育令 (教育法規の事実上の全面停止)


2 目的 目的は次の二点とされる。
・総力戦であった第一次世界大戦の経験に鑑みて、広く軍事的予備教育の要
・宇垣軍縮により剰員となる相当数の陸軍現役将校の予備役編入防止し、補職確保


3 配属を受けた学校及び科目

 学校教練教材要目としては、各個教練、部隊教練、射撃、指揮法、陣中勤務、手旗信号、距離測量、測図学、軍事講話、戦史などで、教材の配当は学校の程度に応じて差異があった。
 一定の官立又は公立の学校には、原則として義務的に陸軍現役将校が配属された。私立学校については任意的であった。なお、配属将校は教練に関しては学校長の指揮監督を受けた。師範学校、中学校、実業学校、高等学校、大学予科、専門学校、高等師範学校、各種教員養成所、大学学部


4 軍事教練反対運動
 大正期に起きた早稲田大学軍教事件や小樽高商軍教事件等
 全国学生軍事教育反対同盟の結成、「軍事教育反対デー」を組織・デモ・数名検挙
 *高度・ハイテク化した現代戦ではこのような教練はそれほどの価値は持たないと愚考
 現在の学校教育を徹底し、知育・徳育・体育、そして愛国心の涵養することこそ肝要

(第八十八話 了)