第九十話 松代大本営

山下 輝男


 大東亜戦争関連トピックスとして、「松代大本営」を採り上げる。大東亜戦争末期、現在の長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散構築した地下壕などの地下施設群に配置した大本営のことを云い、宮城(皇居)、政府の諸官庁の主要部、日本放送協会海外局(ラジオ)などを配置する計画であった。

1 大本営とは
 日清戦争以降大東亜戦争の戦時中に設置された日本軍の最高統帥機関である。
 日清・日露戦争で設けられた。日清戦争では広島に推進された。支那事変は戦争ではないので、戦時限定の大本営条例を廃止し、新たに戦時以外でも設置可能にした「大本営令」が制定された。1937年11月20日、大本営が設置され、そのまま日米英蘭戦に突入した。長野県埴科郡松代町(現長野市松代町)への大本営機能の移転が計画され(松代大本営)、未完成のままで戦を迎えた。「大本営令」は、同年11月30日に廃止された。


2 大本営移転の必要性と松代選定の理由
 陸軍は、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、脆弱であると考え、本土決戦を想定し海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めた。特に1944(S19)年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になり、東條内閣最後の閣議で、かねてから調査していた長野松代への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承された。皇居の防空対策も心許なく大きな懸案事項であった。(防空室から御文庫そして新御文庫へ)
 松代選定の理由は、a本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。b固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。c山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。d長野県は労働力が豊か。 e長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。f信州は神州に通じ、品格もある。g松代に縁起の良い、松という文字が含まれていた。等と云う。


3 配置計画

 初期の計画では、象山地下壕に政府機関、日本放送協会、中央電話局の施設を建設。皆神山地下壕に皇居、大本営の施設が予定されていた。しかし、皆神山の地盤は脆く、舞鶴山地下壕に皇居と大本営を移転する計画に変更される。舞鶴山にはコンクリート製の庁舎が外に造られた。また皆神山地下壕は備蓄庫とされた。3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。そのうち中心となる地下坑道は松代町の象山、舞鶴山、皆神山の3箇所が掘削された。象山地下壕には政府、日本放送協会、中央電話局、舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現宮内庁)として予定されていた建物が造られ現在も残っている。


4 工事
「松代倉庫」工事として極秘に進められた工事であったが、噂は広がっていた。
1944/11/11の11時11分工事開始した。工事は日本企業が請け負い、合計延べ61万600人(朝鮮人(有給、その他の待遇も良かったとの証言)、勤労奉仕隊(無休)含む)、総工費は6000万円。当時の金額で2億円の工事費が投入されたと云う。ポツダム宣言受諾発表により、進捗度75%の段階で工事は中止された。


5 天皇は、当初疎開の気はなくも最終的には同意、海軍も海軍壕

6 舞鶴山地下壕に設置された地震計
 央気象台の松代分室(現・気象庁松代地震観測所)が設けられ、舞鶴山地下壕には、各種地震計が設置された。現在では日本最大規模の地震観測所となっている。

(第九十話 了)