第九十二話 戦略守勢態勢は当初から破綻-日本的悪弊?

山下 輝男


 支那正面の作戦は、和平の機会も掴めぬままに泥沼に陥り、太平洋正面は、予期以上の作戦の進展を見せたものの、やがて、日米の戦力差が逆転そしてその懸隔ますます大となり、米軍の反転攻勢を受け、日本軍は、日本本土周辺へと追い詰められてしまい、日本本土上陸迄が予期される状況となった。攻勢終末点の把握を誤り、進軍限界を超えてしまい、有効な一撃を与えることも出来ずに和平機会も訪れることはなかった。
 日本本土を扇の要とした時に、南はインパール、北はキスカ・アッツ迄の180度位の広さで、ハワイや豪州迄の距離を持った広大さでの戦いだったのだ。
 米軍を最終的に軍事的に屈服し得る戦力もないのであれば、何れは広大な戦域において防勢作戦を遂行しつつ、戦局の主導権を握る必要があった筈である。何故、このような作戦を構想し実行し得なかったのか?幾つかの理由が考えられる。

1 戦略守勢作戦成立の条件
 攻勢作戦により、反撃の支とう点となる要域を確保した後、戦略守勢に転じ、十分な打撃兵力を拘置して、随時随所において攻撃行動により敵を撃破するためには、拠点となる要域の確保、必要かつ十分なる打撃戦力の拘置、そして敵に関する戦略情報収集の卓越が条件である。この為に、主要島嶼基地群を堅固に防備(この為に陸軍の配置が必須)し、これらの内懐に空母機動部隊等を拘置しておくことが必須である。この様な構想であった筈が、何故か破綻してしまったのである。


2 戦略守勢作戦破綻の原因等
 第一弾作戦の終了に伴い、戦略守勢に転じる筈だったが、実際は、戦面は拡大し、カロリン諸島、マーシャル群島方面にまで及んだ。そして来攻する米軍に痛撃すら与えられず、逆に各個撃破され、或いは島嶼に取り残されて悲劇に繋がった。
(1)攻勢作戦当初の快進撃に幻惑されて当初計画を逸脱してしまった。
 初期の戦果が大であり、“米軍組み易し”の意識が醸成され、強気になって、戦面拡大の要因となった。

(2)第一段作戦(初期進攻作戦)成功後の戦争指導の考え方に陸海軍の意見の相違があった。陸軍は、開戦前策定の構想の通り、長期持久の戦略態勢に転換するべきであるとしたが、軍令部と連合艦隊は、初期作戦の成果を拡張して太平洋正面への攻撃続行を検討していた。その海軍内も、軍令部と連合艦隊で、相違があった。軍令部は、豪州の孤立化または占領による広域の要撃態勢確立を、連合艦隊は中部太平洋での早期決戦を志向していた。本来は、このような戦略調整・意見調整は開戦前に為されるべきであり、当初構想の通りに対処すべきであったと思うが。・・
 ともあれ、1947(S16)年3月7日の「今後採るべき戦争指導の大綱」では文言上の妥協に堕し、基本的な意見相違は残された。
 本大綱がお墨付きとなってミッドウェー作戦へと突き進んだのである。
 陸軍参謀本部・海軍軍令部・連合艦隊の相互理解無く、分裂したままでは第二段作戦の戦略守勢態勢はその初めから破綻していたと云うべきだろう。ぎりぎりまで意見相違調整を行わず妥協してしまう日本的な悪弊か?

(3)独の戦争指導との連合作戦調整はなかったようだ。最も作戦開始前にどれほどのものがあったかも疑問だが・・独に振り回される日本ではあった。


* 徹底的な議論を好まず、文言で双方の面子をたてる日本的な議論収拾策は、とんでもない失敗の因になる。大東亜戦争を通じて随所に見られた現象、日本の悪弊だ。自存自衛に必須な南方油田地帯を確保した後は、陸軍をも準備させて態勢を築いたら・・if

(第九十二話 了)