第九十六話 「無謀な戦い」と断じていいか?

山下 輝男


 日本はなぜ敗けると解っている戦争を起こしたのか、無謀な戦争だったのではないかと問われるが、そこには日本が恣意的に大東亜戦争を引き起こしたのだとの前提がある。その前提は果たして正しいのか?日本は追い詰められ、抜け出そうともがきながらも遂に脱却できずに、刃を交えざるを得なかった事実を忘れてはならい。

1 無謀な戦いだったのか
 対支、対米和平を必死に求めつつも、国力判断では,GNP比10倍以上の圧倒的差のある米国に対して挑まざるを得なくなってしまったのである。少なくとも、対米英蘭戦は、全くの自存自衛の戦争だったのだ。そのような中でも、国防計画を策定せざるを得ず、万已むを得ざる場合に採るべきぎりぎりの戦争指導計画が開戦当初の構想だったのである。勿論、国家政策遂行上、幾つかの大きな過ちを起こし、それが大戦争に直結してしまったというのが真相に近いのではなかろうか?
 常識ある軍事専門家も政治家も戦って敗けると解っている戦争に自ら訴えるような愚かなことはしない。そうならないように色々な策を考えるのが国家的リーダーの本来の仕事である。
参考:
・欧米研究者の推計する1940年の実質GDP:日本:約2000億弗、米国:9300億弗
・秋丸機関(陸軍省戦争経済研究班)の結論:経済戦力の比は、二十対一程度と判断するが、開戦後二ヶ年間は貯備戦力によって抗戦可能、それ以降はわが経済戦力は下降を辿り、彼は上昇し始めるので、彼我戦力の格差が大となり、持久戦には堪え難い。(*真っ当すぎて恐ろしい位だ。)


2 無謀と思えても戦わざるを得ない場合も有りうる。
 強大な戦力を有する国家の不法・不当な要求、或いは武力侵略に対して、如何に対応すべきなのだろうか?
このテーマを考える際に思い起こすのは、小生が少壮の廊下鳶として走り回っている頃に紙上で戦われた「森嶋・関論争」である。
 当時ロンドン大学教授であった森嶋通夫氏が、北海道新聞に寄稿した論文で、「不幸にして、最悪の事態が起これば、白旗と赤旗をもって平静にソ連軍を迎える他ない。・・ソ連に従属した新生活も、また核戦争をするよりはずっと良いに決まっている。」と主張した。これを受けて、諦観的平和論・秩序整然降伏論の森嶋氏と、当時東京都立大学名誉教授であった関嘉彦氏が、昭和54年『文藝春秋』7月号と9月号でそれぞれの論を展開したのである。
 今でこそ非武装中立論を唱える者は居ないが、森嶋氏の言う如く無抵抗、秩序ある降伏論に従って生き長らえたとして、果たしてそれが幸福なのだろうか?考えるまでもない。桎梏・奴隷の平和にどんな意味があるのか?
 大東亜戦争を日本が恣意的に起こした戦争であると未だに盲信し、固執している者は、特に無謀な戦争だったと断定する傾向が強いようだ。
 異民族支配の悲惨さは歴史を紐解けば枚挙に暇ないぐらいだ。自らの生存を自らの意思で決め得ない不幸、物質的には仮に豊かであったとしてもそれは奴隷の平和でしかない。また、傀儡政権の下で真の独立国家と云えようか?大東亜戦争直後の米軍の日本占領は、確かに穏やかではあったが、それは史上稀なる例であるに過ぎない。その米国ですら、日本を徹底的に弱体化させた。他の国は推して知るべしだと思うのだが・・
 勿論、斯かる忍従・悲惨な事態が起きないように自助努力も行うべきだし、友好国との連携も必要なのだ。

(第九十六話 了)