海軍爺さんの 「これでいいのか?日本!!」
第13回 尖閣諸島 ('09.08.20.)

海軍爺さん

 先般俺の卆寿の内祝いをやったが、その記念品として、世界各地を撮ったもので写真集を作り御出席の皆様へ差し上げたいと考えた。ところが表表紙は「トラック島の環礁の海」で決まったが、裏表紙が仲々決まらず、考えた末現在問題の尖閣諸島を入れて皆さんの関心を引こうと思いついた。早速数名の元航空集団司令官に相談したところ、仲々返事が来ない。どうなっているのかなーと思っていたところ、思った以上にヤヤッコシイらしく、実現困難だとの事であった。従って今回はあきらめるが、次に作る最終集には、表は尖閣諸島、裏は竹島か北方四島にしたいと思っている。

 思い起こせば約四十年前佐世保地方総監時代隷下の大村航空隊の飛行艇やヘリコプターに乗り担当海域の各諸島を次々に訪れたものである。最後に残った与那国島に行く事を申請したところ当時の山中貞則長官が許可しなかった。二度申請したがダメだった。責任ある担当地域、海域に行かせないのは何たることだと憤慨して秘かに調べたところ、長官が台湾で学生だった時の教官が沖縄県知事の屋良さんで、曾ての教官とイザコザを起こしたくないからだとわかった。俺が与那国へ行っても何もない筈なのに、国の防衛よりも私的な師弟関係を大事にするような下らん男が長官とは、日本も落ちるところまで落ちたのかと情けなくなった。今でも担当区域の視察まで申請させ、規制しているのだろうか?

 同島に行く目的は、’70ごろ尖閣諸島周辺に石油資源等の埋蔵が言われだしたので、ズルカシコイ支那が目をつける前に即応体制を作っておき、魚雷艇隊か駆潜隊を張り付け、沖縄基地隊の分遣隊として設置したかったためである。最近の新聞情報によると、やっと同島に陸上自衛隊の小部隊を置く事にしたようだが、置くならば機動性のある海上自衛隊を先に出すべきではないだろうか?

 1894年の日清戦争で同島は台湾と共に日本領土になり、第二次大戦後米国の施政を経て’72沖縄返還に伴い日本領土に復帰した固有の領土である。同じ’72日中国交正常化時鄧小平の「引き続き協議しましょう」との口車に乗ってしまった。

 田中角栄が『尖閣諸島はわが国固有の領土であり、支那とは関係なく、協議の要なし。』と一言言えば良いものを、下らない大きな火種を残したものである。戦後の首相たちの何と親中、売国的な面々が多いことだろう。最近まで衆議院議長をやった河野洋平とか二階大臣など隠れキリシタンならぬ媚中派の多い事情けない次第だ。支那は日本をナメ切って’92尖閣諸島を中国領土と明記した領海法まで制定している。日本も「東支那海」を「西日本海」に制定する位のことなぜやらないのか!

 また、日中の境界線沿いに支那は何本もヤグラを建てて、石油や天然ガスを掘っているので、日本も遅まきながら試掘をやろうとしたところ二階大臣が止めてしまった。おかしい事をやるなーと思ったら、総理や閣僚は二階の動きを止めて、推進すべきではないか! 総理も閣僚もデクノボーか、親中派ばかりか! 二階を二階から支那ヘホーリ出せ! 八代将軍吉宗の出た和歌山も落ちたものである。何はともあれ日本固有の領土の上を飛ぶのに規制がかかるなんて、何とヒ弱な国になってしまった事だろう。アー-。

(第13回了)