海軍爺さんの 「これでいいのか?日本!!」
第39回 海上自衛隊との集いのあと ('11.09.01.)

海軍爺さん

 先般の「集い」は中々盛会であった。水交会に近い建物で、最初に東京音楽隊の見事な演奏があり、続いて高嶋前横総監の東日本災害派遣についての詳しい説明で、その成果と御苦労が良くわかった。次に桜林女史の講話があった。あと水交会に戻ってのパーティも、これ又盛会であった。
 のんびりと諸兄と快談できると思っていたところ司会者から、一言挨拶をとのことで、話の下手な俺は仕方なく、次のようなことを述べた。
 「今まで出席した会合では、長老に御挨拶をと頼まれると、一寸一言と言って10分、20分と続き、困り果てた司会者が恐る恐るやめて戴くようなお願いする場面が多かったが、小生は約5分間お話します。
 今般の大災害の後始末が少しずつ片付き始めた頃、両陛下が被災地にお見舞いに行かれて、親しく被害者とお話になり、又お慰めになり、皆心から感動している光景をテレビで拝見した。本当に有難いことだと思う。被災者と言えば、先の大東亜戦争において300万人近い戦死者、戦没者が出て、その遺族も何百万人もいるが、年々歳老いて、陛下の靖国神社の御親拝を、一日千秋の思いで心からお待ちしている。広い大御心でお参りいただきたいものである。我が家のことを言えば、家族には戦死者はなかったが、妹2人の主人は2人とも陸軍に召集され、1人は支那の天津で現地召集されて、満州で終戦となり、あとシベリアに送られて寒冷の地での重労働で戦病死、あと1人は沖縄戦に参加のため輸送船で航海中にやられて戦死した。又自分のことを言えば、ガ島輸送の10回目の帰途駆逐艦「嵐」の2番聯管左横の甲板に250キロ爆弾が落ち、戦死、重傷十数名をだした。反対舷の甲板上で重傷者を軍医が応急処置をしていたので、見舞いに行ったが、若い水雷科の水兵が何か言っているようなので、横に行き『シッカリシロ、ガンバレ』と励ましたが、まもなく息絶えだえのか細い声で『天皇陛下万歳』の声を残して死んでいった。半世紀以上過ぎた今でも時々夢を見ることがある。生き残った者の業であろうか?
 数年前から、どうも日本自体が左傾化して行くようで心配していたが、赤い民主党政権になってからその傾向が一段と強くなって行くようだ。弱い政権、変な政党のときに災害の生起することが多いようだ、大地震、大津波、大豪雨、台風と次々と日本を襲って来る。いよいよケジメをつける時だと思い、後輩の気の利いた元華族の長男に『天災、地変の多い今年こそ、陛下の靖国神社御親拝をお願いできる人を知らないか?』と尋ねたところ、元侍従長を知っていると言うので頼んで貰ったが、『主旨は良く理解しますが、私では出来ません』とダメだった。次に海兵の若いクラスに元皇族がおられるのを思い出し、その期の代表幹事に主旨を話したところ快く引き受けて貰った。彼は端正で、実にシッカリした考えを持った頼りにできる人物であった。彼が元殿下に申し上げたところ『主旨は良く理解するが、昭和天皇が戦争に対して極めて慎重であらせられたのに軍部が戦争に突入したこと、更に戦死でもないのに元A級戦犯を靖国神社に合祀したことに怒っておられたこと、さらに今上陛下も父君をとても尊敬しておられるので、従弟である白分かお話してもムツカシイ』とのことであったので、御参会の皆様のお知恵で何とか実現できるような方策をお考え頂きたい」で終った。
 会の終り頃になって、ある人が「日本が共和国になってもいいではないか!」と言っているのを聞いて憤慨して知らせて呉れた。それを聞いて俺はゾーットした、どんな共和国を考えているのか知らないが、この会に出るような人は皆健全保守か、それに近い考えを持った人ばかりと思っていたが、そうではないらしい。「王将」ではないが、どんな手を打てば御親拝が実現できるであろうかと思案にくれて暗い道をトボトボと帰路に着いた。

(第39回了)