海軍爺さんの 「これでいいのか?日本!!」
第40回 杉原領事のこと ('11.09.23.)

海軍爺さん

 昨年6月バルト3国とサンクト・ペテルブルグの旅に行ったが、旅行の目的の1つが杉原領事のことを調べることであった。大東亜戦争開始の直前から今日に至るまで、俺は外務省や外交官の働きに批判的であったので、1人位は昔の外交官のような立派な功績を残された方がおられると思っていたし、その方を是非顕彰したいと考えていた。
 開戦時の暗号電報の処理を誤り、米国に「リメンバー・パールハーバー」と言う又とないネタを与えてしまった。大本営か? 外務省か? 知らないが、何で開戦の詔書か、文書を十数枚も書いたのであろう。1枚か2枚ですませれば何でもなかったのに。又ワシントンの大使館員も全く緊張感が足りず、その処理が遅れてしまった。戦後になって俺が遠洋航海や旅行で接する外交官も何だか頼りないのがいた。
 さて、この旅行中リトアニアの首都ヴィリニウスを見て、次にカナウスに向かった。杉原領事の旧領事館は、静かな住宅地の中の平凡な建物であった、地上2階、地下1階である。当時とは違っていると思うが、地上の分は使用しておらず、総ての業務は地下でやっている。地下と言っても建物の横の下り坂をおりると出入口があり、入った右側が領事の執務室、左側が事務室、正面奥の広間が映写室で領事の業績の映画を見せてくれた。事務員も立派な米語を使うところを見ると、在米のユダヤ人が派遣されているのではないかと感じた。帰りに出口の献金箱に少額ながら$20札を入れたところ、係員が飛んで来て、お礼を言い杉原領事の写真の入った絵葉書を呉れた。
 帰国後、防大3期の是本君に話したところ、彼は御遺族を存じているそうで、彼の話によれば、東京で設計の会社を経営され、中々順調だそうであるが、その裏付けとして、カナウスで助けられたユダヤ人やその遣族たちが十二分に支援しているそうである。ユダヤ人や支那人は、金儲けの事しか考えていない人種と恩っていたが、ユダヤ人は6000人の命を助けられた恩義を今もって忘れずに心から感謝しつつ奉仕しているようである。
 実に穏やかな現地のカナウスで、彼は本省の意に反して、館内で朝となく夜となく、さらに出発間近かな汽車の窓で鬼気迫るようなビザのサインをされた姿を想像するとき、忘れることのできない偉大な外交官に衷心から敬意を表する次第である。
 外務省は毎年採用する外交官の卵にどんな教育をしているか知らないが、第1に日本の正しい歴史と立派だった先輩たちの業績を、第2に外交の後盾になる軍事力のことを充分叩き込む必要があろう。
 チャイナ・スクールも商人大使もサヨナラである。

(第40回了)