海軍爺さんの 「これでいいのか?日本!!」
第41回 パラオ・ペリリューの旅 ('11.10.10.)

海軍爺さん

 昭和13年秋に江田島を卒業して遠洋?中洋航海に行った。朝鮮、満州、支那大陸、比島の次に内南洋の委任統治のパラオに入港した際、余りにも海がキレイで投錨した錨が大きな岩の上に乗っかっているのが見えて驚いた。足、腰のシッカリしている内に、もう一度訪れキレイな海を見たいと思い、後輩の宮本君と一緒に旅した。70年前は小ジンマリした活気のあるコロール島であったが、現在はバラッとした感じで余り活気を感じなかった。アメリカ風の民家が多く、キレイな建物と言えば、その後に建ったホテル位である。通貨は米ドル、言葉も米語で、米国は余り表に出ないようにしているらしいが、完全な米国の保護国である。しかし昔日本と縁が深かったためか、どこに行っても日本語で不自由しなかったが、在留邦人は約300人、現地人の他で多いのは、支那人、台湾人、比島人、朝鮮人である。ハワイと同じような現象がおきている。米国が気を利かして新しい国会議事堂を飛行場のある大きな島(バペルドウブ)に建てたそうだが島民はコロール島付近に愛着を感じているようだ。前代の大統領は日系人でとても評判が良かったが、現大統領は次々と税金をかけるので芳しくないようだ、現実に出国の際我々も環境税$35とられた。
 各方面に行くガイドは日本人が多く、約25年こちらに住んでいると言っていた。観光中ガイドから「2014年に日米合同の慰霊祭をやりますので、戦争の経験のある方は是非参加して下さい」と言って俺の顔を見た。慰霊祭のことは何も知らなかったので、過去に海自の艦艇がパラオに行ったことがあるかどうか知らない。もしまだならば、’14年の遠航部隊なり、シンガポールあたりに行く艦艇なり、都合がつけば派遣されれば充分な慰霊になると思うし、実習幹部や乗員に戦蹟を見せる事によって良い教育ができると思う。
 セスナ機による1時間の遊覧飛行があると言うので申し込んだら、1人ではダメだと言う。どうすれば良いかと問うたら2人分払えばOKだとのことで、早速払って搭乗した。パイロットが偶然にも米海軍退役軍人だったので、すぐ意気投合し、行きたいところどこにでも行くから遠慮なく言ってくれ、「マンタを見たいか?」「Yes」とたんに急降下して見せてくれたり、実に楽しいフライトであった。
 ペリリュー島へは高速艇で1時間15分、相当波をかぶった。洞窟、陣地、建造物、飛行場等それなりに整備されておりもし実習幹郎等が見学すれば良い生きた教材になると思う。戦史等を読んだ感じでは、岩のゴツゴツした島かと思っていたら、他の熱帯地方と同じで、緑の深い密林に覆われていた。同期の好漢近藤正次郎が攻撃機のパイロットとして活躍し戦死した地でもある。島の北部にある「みたまの碑」を拝み、彼の冥福を祈った。米軍の上陸に対して海、陸軍とも陣地や砲台などを作ったが、予想地点には上陸せず、飛行場に近い所に上陸したので、苦心して築いた陣地や20cm砲など役に立たなかったらしい。
 親しくなったガイドが、感心な知事がいますねーと言って説明してくれたが、群馬県の高崎部隊の慰霊の為、大沢知事が初当選されてからお参りにこられ、再選された今年末又来られると連絡があり、大した知事ですねと感心していた。
 お土産を探したが、殆ど米本土かハワイのもので、現地のものはクッキーか貝細工位であった。海はキレイだったが、昔程ではなかった。

(第41回了)