(29) 戦後教育が推し進めた「日本の自殺」

元自衛官 宇佐静男

 37 年前の 1975 年、「日本の自殺」という論文が雑誌に掲載された。高度経済成長で謳歌する繁栄が、永遠に続くかのような軽薄な気分が日本中に蔓延する中、迫り来る内部崩壊の危機に警鐘を鳴らす論考だった。今年1月、某新聞が取り上げて話題になったが、現代日本の深刻な病弊を驚くほど正確に予言している。
 文明の没落は、宿命的なものでなく、災害や外からの攻撃などによるものでもなく、基本的には社会の衰弱と内部崩壊を通じての「自殺」である。
 戦後教育について、過保護と甘えの中に低迷し、生活環境が温室化している現状を憂い、自制心、克己心、忍耐力、持久力のない青少年が大量生産され、強靱なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かな感受性、責任感などを欠いた過保護に甘えた欠陥青少年が大量発生すると警告した。
 その帰結として、適切、不適切を見分ける感情の欠落、他人および他人の意見を尊重する配慮の欠如、個人の尊厳無視、自分自身への過大な関心、判断力、思考力の衰弱など、国民の幼稚化を予言した。
 福祉や自由、平和、平等にも恐るべきマイナスの副作用がある。この自覚を欠くとき、福祉国家は人間と社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化すると喝破している。37 年後の現代社会を見透かした論考である。
 日本は今、内政、外交共、惨憺たる閉塞状態にある。経済は「失われた 10 年」と言われて既に 10 年以上が経過した。昭和 42 年に達成した世界第二位の経済大国の地位からも陥落した。一世帯あたりの平均給与も減少し続け、今や 20 年前の水準を下回っている。失業率は上がり、格差問題が生じ、少子高齢化も進んだ。回復の兆しは一向に見られず、状況は悪化の一途を辿る。
 税収は平成 2 年の約 60 兆円をピークに、平成 23 年は約 41 兆円にまで落ち込んだ。一方、年金を含む社会保障費は昭和 45 年には約 3.5 兆円だったが、平成23 年には約 108 兆円にまで膨らんだ。今後、社会保障費は増加の一途をたどり、平成 37 年には 150 兆円を超えると予想されている。まさに「無秩序と放縦」の社会福祉だが、こんな状態が長続きするわけがない。
 確かに社会福祉は進んだ。だが我欲は肥大化し、自由には責任が、権利には義務が付随するという基本的摂理も理解できなくなった。国民の「生きる力」は減退し、自殺者は毎年3万人を超えている。
 身の丈を超える権利の要求は、1000 兆円に迫る財政赤字を生んだ。このままでは必ず財政は破綻する。やがて訪れるであろう財政破綻を誰もが認めながら、何一つ手だてが打てない。それどころか、「子ども手当」「高校授業料無料化」「最低保障年金」など欲望肥大化は留まるところ知らない。少子高齢化を考慮すると、消費税増税は避けて通れない。だが消費税増税一つ決められない。もちろん消費税増税には経済成長戦略が車の両輪として欠かせない。だが、この経済成長戦略も描けない。消費税増税のみが暴走すると、結果的に増税しても税収は減り、財政破綻を加速することになりかねない。
 抜本的な改革がない限り、そう遠くない将来、財政は破綻する。そうなれば年金も公務員給与も払えなくなり、公共サービスはストップする。街には失業者やホームレスが溢れるだろう。
 エネルギー政策もそうだ。原発は 54 基全てが止まった。だが再稼働に対するリーダーシップは見られない。電力不足の穴埋めは、今のところ火力発電所に依存せざるを得ない。原油が高騰する中、電気料金の大幅値上げは避けられない。原発再稼働に反対する人が、臆面もなく料金値上げにも反対する。幼児レベルの程度の低さだ。
 電力料金が上がると、国内製造業は当然、国際競争力を失う。多くの工場は海外移転を余儀なくされる。益々、失業者は増える。自殺者も増えるに違いない。普通の人なら誰でもわかる。
 今夏、昨年以上の節電努力をしたとしても、地域によっては大規模停電が発生する可能性がある。不意の大規模停電は都市を大混乱に陥らせ、最悪、死者が出る始末となろう。
 この深刻な成り行きに、多くの日本人は薄々気がついている。だが、どこか他人事である。比較的はっきりしている将来を、分かっていながらズルズルと状況に流され、ついには自らのコントロールさえ失って破綻を来たすというお馴染みのパターン。大東亜戦争に引きずり込まれていった日本の姿そのものだ。
 「あらゆる文明は外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅する」と歴史家トインビーは言った。ベニスの歴史家ジョバンニ・ホテロも言う。「偉大な国家を滅ぼすものは、決して外面的な要因ではない。何よりも人間の心の中、そしてその反映たる社会の風潮によって滅びる」と。
 日本は戦後、確かに豊かになった。だが今、内部から溶解しつつある。プラトンは、ギリシャが没落した原因を、名著「国家」の中でこう言った。
 「欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な自由の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会を崩壊させていった。」現代日本の姿、そのままではないか。
 トインビーはこうも述べる。「いかなる国家も衰退するが、その要因は決して不可逆なものではなく、意識をすれば回復させられる。国家衰退の決定的要因は自己決定能力の欠如だ」と。だが「自己決定」を牽引するリーダーが日本にはいない。
 戦後教育はリーダー育成を拒んだ。エリート教育を差別だとする「悪平等主義」は国家リーダーの必要性さえ否定し、「自己決定能力」を喪失させた。
 日教組イデオロギーに代表される戦後教育は、差別反対、人間平等の下に、画一主義と均質化を教育の世界にもたらした。リーダーの必要性を否定し、皆が平等であるべきだという幻想を教育の場に持ち込む国で、リーダーが生まれるはずがない。
 「人間は全て平等。できの悪い生徒ができるのは全て社会に責任がある。子供は皆同じように努力したのだから、全部同じ点をつけるのが正義」とした偽善的「オール3」教育、「お手々つないでゴールイン」に代表される悪平等主義は、優秀な子供、努力する子供達のやる気を失わせ、教育レベルの低下だけでなく、生きる活力を減退させた。
 人間の個性化、教育の多様化を理解せず、エリート教育を差別として否定した戦後教育は、次の世代を担うべきリーダー出現を阻害しただけでなく、日本の民主主義体制を衆愚制へ転落させるのを手伝った。
 戦後教育の最大の誤りは「個」や「私」を最優先したことだ。「国家」や「権威」は悪であり、敵対する存在とし、「公」に尽くすことは教えなかった。「公」より「私」が優先された結果、目先の利害しか考えず、部分を見て国全体が見えず、「国の将来」は他人事となった。
 大震災では「絆」を叫ぶ一方、瓦礫処理は拒絶する地方住民。国の電力事情など一顧だにしない原発再稼働反対。エゴと放縦、大衆迎合主義の蔓延の中に自滅していく姿はギリシャの没落と重なる。
 「日本の自殺」とも言うべき現状を打開するには、どうすればいいのか。「私」を犠牲にしてでも「公」に殉ずる覚悟、つまり「公の復活」という意識改革、教育改革を推し進めることに尽きる。
 「公の復活」には、祖国への誇り、国家意識の回復が欠かせない。「国家」や「公」に尽くすことは本来、人類普遍の価値である。「あらゆる人間愛の中でも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは祖国に対する愛である」とローマ帝国の歴史家キケロは語る。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と新約聖書にもある。戦後教育が避けてきた人類普遍の価値を取り戻すしかない。
 戦後の自虐史観教育は祖国への誇りを失わせ、「内部からの社会的崩壊」を助長した。チェコの作家ミランクンデラは言う。「民族を抹殺するに一番良い方法は、その民族の記憶を失わせることである」と。先人が気概を示した栄光の歴史はあえて避け、負の歴史のみ子供に刷り込む。これでは祖国への誇りは生まれない。周辺諸国からの内政干渉圧力に屈し、自虐史観を押し付ける歴史教育は、日本を衰退させる間接侵略に手を貸しているようなものだ。
 戦後の「吉田ドクトリン」体制も国家意識喪失に手を貸した。最も大切な国防をワシントンに任せ、自らは金儲けに専念するという吉田ドクトリンは、健全な「公」の精神を蝕んだ。国家は国民を守るべき共同体である。にもかかわらず、国民はその国家を支える義務を負わない。この無責任性は随所に首をもたげる。
 現職の総理大臣が「日本列島は日本人だけのものじゃない」と嘯く。現役国会議員が臆面もなく外国での反日デモに参加する。危機意識のないまま情緒的に外国人参政権を持ち出す。日本は国家の中心から溶融し始めている。
 「公の優先」という価値には目を背けた戦後67年。「正義」「名誉」「犠牲」「勇気」等、人類の普遍的価値は喪失し、モラルは地に落ち、我欲は肥大化した。「生命と私生活」のみが社会目標となった結果が、現在の体たらくである。
 日本の社会的崩壊は、加速しつつ進行している。他人事ではない。国家の崩壊は国民一人一人に取り返しのつかない大被害をもたらす。今後、我欲を捨て、公に尽くす犠牲的精神を取り戻さない限り、この流れを押しとどめるのは難しい。
 日本に残された時間は短い。日本の崩壊を防ぐには、戦後教育の成果である「虚ろな社会の風潮」から速やかに脱却しなければならない。国民一人一人が「私」を捨て、「公」に殉ずる気概を回復させるしかないのだ。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2012年6月号より転載