(31) メディアに踊らされてはならない

元自衛官 宇佐静男

 5 月、某新聞に小さな記事が載った。「発がん性があるとされてきたカドミウムを食事から多くとっても、少量しか食べない人と比べてがんになるリスクは増えないことが国立がん研究センターの研究班の調査でわかった」
 45~74 歳の男女約 9 万人を約 9 年にわたり調査した結果、がんのリスクと、カドミウム摂取量の関連は見られず、普通に食べる範囲では問題がないことがわかったというものである。
 カドミウムはイタイイタイ病の原因物質である。10 数年前、コメのカドミウム汚染をメディアがヒステリックに報道し、大きな社会問題になった。あの騒動は一体何だったのだろう。
 事が起きるとメディアの報道は過熱を極める。今も昔も変わりはない。当時も連日、テレビや新聞紙面を賑わした。恐怖に駆られた国民は、カドミウムと聞いただけで青ざめた。
 メディアによって踊らされた点では、ダイオキシン騒動もそうだった。1997年 11 月、大阪府の豊能町と能勢町で共同運営するゴミ処理施設とその周辺でダイオキシンが検出され、メディアはセンセーショナルに取り上げた。
 豊能町はダイオキシン無害化処理施設の建設を計画した。だが、恐怖を煽られた周辺住民は猛烈な反対運動を行った。この報道が更に国民の不安を駆り立てた。
 騒動は所沢市に飛び火する。某テレビ番組が根拠不明確なまま、所沢野菜のダイオキシン汚染を報じた。その結果、野菜やお茶の不買運動が広がり、風評被害が裁判沙汰にもなった。
 実際には、野菜類に含まれるダイオキシン濃度は極めて低く、健康には全く影響のないものだった。「あの程度のダイオキシンで健康に影響があるなら、とっくに焼き鳥屋のオヤジは死んでいる」と揶揄する学者もいた。
 昨年の福島第一原発事故がもたらした放射能汚染への反応は、カドミウム、ダイオキシン騒動を思い出させる。
 恐怖を煽り立てる連日の報道で、国民は「ベクレル」「シーベルト」と聞いただけで、数値の意味も理解しないまま、条件反射的に目は吊り上がり、集団ヒステリー現象を起こすようになった。
 被災住民との「絆」を叫ぶ一方で、未だにガレキの受け入れには頑強に反対する住民がいる。反対住民は、ガレキは放射能汚染されているはずであり、健康被害をもたらすと主張する。いくら放射線量を測定して見せても、聞く耳を
 もたない。そこには放射線量と健康被害という科学的思考や理性は排除され、感情や空気があるに過ぎない。まさにカドミウム、ダイオキシン騒動と同じである。
 元々、食物には自然の放射能が含まれている。昆布だったら1Kg あたり 1600ベクレル、納豆 200 ベクレル、豚肉 120 ベクレルといった具合だ。更には人間の身体にもカリウムが含まれる。そのカリウムが放つ放射線は平均 67 ベクレル/Kg だそうだ。60Kg の体重の人で約 4000 ベクレルの放射線を出し続けている。
 自然界には放射線が飛び交っており、普通に生活して、人は年に平均 2.4 ミリシーベルト被曝している。地球上は放射線の真っ只中に入るようなものであり、日常生活でも被曝量ゼロということは有り得ない。
 メディアは恐怖を煽りこそすれ、こういう事実は決して報道しない。その結果、国民は放射線量の意味も理解しないまま、線量計の針が振れるだけで目が吊り上がり、大騒ぎする。如何にも異様な光景である。
 メディアは常に真実や社会正義を追求するとは限らない。追求するのは購読数であり、視聴率である。騒ぎが大きければ大きいほど購読数は伸び、視聴率は上がる。だから事が起きると火に油を注ぐ傾向に走る。
 日本人には広島、長崎への原爆投下に端を発する放射能アレルギーがある。
 福島原発事故ではこのアレルギーを刺激する結果となり、集団ヒステリー現象が生じた。途端にテレビの視聴率は上がり、新聞、雑誌の購読数は伸びた。当然、更にアレルギーを煽る報道に走る。どの新聞、どのテレビを見ても「拡大する放射能汚染の恐怖」との論調は不気味なほど一様であった。
 政府は、国民のヒステリー現象に慌てて安全基準を作り直すものだから、随所に矛盾や歪みが生じる。結果的に政府は信頼を失い、更にヒステリーを増幅させた。
 例えば、政府は食料に関する放射能の新しい規制値を1キログラムあたり 100ベクレルと定めた。前述したように元々、食物には自然放射能が含まれている。
 昆布だったら1Kg あたり 1600 ベクレル、納豆なら 200 ベクレル、豚肉は 120 ベクレルである。にもかかわらず、これより低く規制値を設定して意味があるのか。この基準では、普通の納豆や昆布も食べられないという矛盾が生じている。
 福島県産の汚染牛問題もそうだった。福島県産の牛から1kgあたり 650 ベクレルの放射線が計測され、出荷停止となった。だがこの値であれば、毎日、200gの牛肉を 1 年間食べ続けても 0.6 ミリシーベルトの被曝量だという。宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士の 1 日分の被曝量にも満たない。
 そもそも 200gのステーキを毎日食べる日本人なんていない。出荷しても全く問題なかったが、メディアも国民も思考停止してしまった。「パブロフの犬」よろしく「ベクレル」と聞いただけで「拒否」と条件反射する。犠牲になった畜産業者こそいい迷惑だ。
 現在、放射線はどんな微量でも有害だとする LTN 学説を政府は採用している。高線量の放射線は勿論危険である。だが、低線量放射線の健康に対する影響は、十分に解明されていないのが実情である。
 むしろ低線量の放射線は身体にいいという「ホルムシス効果」を主張する学説もある。だがメディアは一切報道しようとしない。国民を煽る上で不都合な学説だからだ。
 世田谷ラジウム騒動でもよく分かる。世田谷の民家から放射線が出ているのを周辺住民が発見した。平均 23.6 ミリシーベルト/年という比較的高い線量だった。「東京にも福島の放射能が」とメディアは過熱した。住民はパニックに陥り、周辺は立ち入り禁止になった。
 立ち入り検査の結果、放射線源は 50 年前に床下に置かれた放射性物質によるものだった。ところがこの家には 50 年間以上生活した 92 歳の女性がいた。女性がいたって健康なことが分かると、メディアは報道をピタッと止めた。放射線を浴び続けた人が健康で長寿だとメディアにとって不都合なのだ。
 報道しない不都合な事実は他にもある。全国にあるラジウム温泉、ラドン温泉は低線量の放射線を浴びる温泉であり、古代から湯治に利用されてきた。鳥取県の三朝温泉は世界一放射線の強い温泉であり、リットルあたり 9000 ベクレルもの放射能が含まれている。湯治に抜群の効能があることは世界的にも有名だ。
 宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士は 1 日に 0.5~1 ミリシーベルトの放射線を受けている。半年近く滞在した古川さんも約 150 ミリシーベルト被曝した。彼を含め宇宙飛行士はいたって元気である。
 東京、ニューヨークを5回往復すると1ミリシーベルト被曝する。だが、エアラインパイロットにがん患者が多いという事実はない。
 1 月、国連科学委員会は「福島の放射能汚染に健康被害の恐れなし」と発表した。インターネットに解説まで載っている。だが日本のメディアはこれを報道しない。
 筆者は放射線が安全だと主張したい訳ではない。高い放射線は極めて危険である。だが自然界でも低線量の放射線を日常浴びており、低線量の放射線が人体へ影響を及ぼす閾値は未だ解明されていない。ラジウム温泉が古代からあるように、低線量の放射線は身体にいいという「ホルムシス効果」を主張する学説もあることを知った上で、自分で判断すべきと主張しているのだ。
 20 マイクロシーベルト/時の放射線が検出されたからといって、寝たきり老人や入院患者まで、強制避難させたのは、明らかに誤りだった。今回、こういう医療弱者が不十分な体制の中で避難させられ、70 名が亡くなったという。がんでお亡くなりになるより、避難で命を失われた老人がはるかに多かったのだ。
 ちなみに 20 マイクロシーベルト/時を 1 年間被曝しても、平均体重より 15 キロ肥満の人ががんになる確率の 1/1200 に過ぎないそうだ。
 NASA が定める宇宙飛行士の生涯被爆限度は 40 歳以上で 1200 ミリシーベルトである。この基準に照らせば、少なくとも 6 年間は当地に滞在できたのだ。
 日本人は活字になったり、テレビで報道されたりすると、無条件に信じる傾向にある。だが、メディアはいつも正しいとは限らない。むしろ流行に迎合しているだけで、過誤の報道も多い。また、報道されない真実も多いのだ。
 歴史の結節でも、メディアは度々判断を誤って来た。満州事変はメディアが全面的に支持した。戦争への道を転がり落ちる切掛けとなった国際連盟からの脱退は、地方紙を含む新聞 132 社が共同宣言まで出して政府に脱退を迫った。
 60 年安保改定で、デモを煽ったのはメディアである。
 他方、権力闘争と虐殺だった中国の文化大革命を「近代化への模索」と褒め称えた。北朝鮮を「地上の楽園」と讃えのを忘れてはならない。住民を大虐殺したポルポト政権を「アジア的優しさに溢れている」と賛美したのもメディアなのだ。
 正義を気取るメディアが垂れ流すウソほど始末の悪いものはない。メディアの正常化を期待することは難しい。だとすれば、国民一人一人がメディア依存から脱却するしかない。報道を鵜呑みにするのではなく、先ずは疑ってかかり、自分の頭で判断することだ。新聞紙面で正確なのは「株価と死亡記事」だけ。「テレビは真実を伝えない」と思っているくらいがちょうど良い。メディアに踊らされてはならないのだ。

宗教法人念法眞教機関紙「鶯乃声」 2012年8月号より転載